フランス人が一番好きな建物がある北フランスの町、アラスの見どころ

フランス北部アラスでヨーロッパ唯一の美しさを誇る広場を歩く

こんにちは。

フランス政府公認ガイドの濵口謙司(@tourismjaponais)です。

パリや南フランスなどに比べて、あまり知られていないのが北フランスです。ベルギーとの国境近くにあるリールは旅行ガイドブックなどにもよく取り上げられますが、他にも足をのばす価値がある美しい場所がたくさんあります。

その一つとして私が自信を持っておすすめしたいのが、アラスという町です。ユネスコ世界遺産に指定されている鐘楼の周りに広がる2つの広場は、まさに息を飲むほどの美しさ。今回はそんな北フランスの町アラスをご案内します。

目次

  1. 大国に翻弄されたアラスの歴史
  2. ヨーロッパ唯一の美しさを誇る広場と世界遺産の鐘楼
  3. あのピーター・ジャクソンも!英語圏観光客がアラスを訪れる理由
  4. パリからアラスへの行き方

2019年11月16日更新

1. 大国に翻弄されたアラスの歴史

アラスという名前を聞いて漫画「ベルサイユのばら」を連想した方も多いと思います。実はアラスは漫画の登場人物の一人であり、フランス革命において有力な政治家であったロベスピエールの生まれた場所でもあります。

ちなみに、アラス(Arras)の名前はケルト人のアトレバス族(Atrebates)に由来します。

アラスは大国同士の境界線近くにあることから、その力関係の中で揺れ動いてきたという歴史があります。中世のアラスはブルゴーニュ伯、スペイン・ハプスブルク家の支配を受けました。その後、1659年にルイ14世治世のフランスに併合されたのです。

フランスに属する前に地理的には離れているスペイン王の統治下だったというのは少し意外な気がするかもしれません。しかし、言い換えれば、ヨーロッパの歴史はそれだけ多くの国の歴史が入り組んだものということでしょう。特に現在のフランスの他国との境界線近くの街の多くは同じような激動の歴史をたどっています。

アラスの鐘楼からのエロ広場と周辺部の眺め

ただ、アラスの場合は近世では終わらず、20世紀に入っても歴史に翻弄され続けます。実はアラスは第一次世界大戦の舞台となったのです。大戦時は戦線が街から3kmの位置していたことから、1917年のアラスの戦いの時にはイギリス軍の指揮下にありました。

さらには、第二次世界大戦時はドイツ支配下にあり連合国の爆撃を受けました。アラスの駅前には今でも戦死者を弔う慰霊碑が置かれています。

このように、アラスの町中を歩いていくと、様々な国の統治にあったその面影は街のあらゆるところに感じられます。

2. ヨーロッパ唯一の美しさを誇る広場と世界遺産の鐘楼

ユネスコ世界遺産のアラスの鐘楼

アラスの中心街に行くと、2度の世界大戦を経た町とは思えないような石造りのかわいらしい建物が道に沿って続いています。

街の中央にはユネスコ世界遺産に2005年より「ベルギーとフランスの鐘楼群」の一つとして登録されている鐘楼がそびえ立ちます。この鐘楼は、2015年にフランス国営放送のFrance 2の番組「フランス人が一番好きな建築物(Le Monument préféré des Français)」で映えある1位に選ばれています。

高さ75メートルのアラスの鐘楼は町を一望できる展望台となっていて、観光案内所でチケット(大人3.1ユーロ)が購入できます。建物の地下からエレベーターに乗り、降りたところから40段の階段を登ると、高さ55メートル(ちょうど時計台の高さ)からは美しいアラスの町並みが見られます。

アラスの鐘楼(上部の塔)と市庁舎。

ヨーロッパ唯一の特徴を持つ美しい2つの広場

そんな鐘楼のふもとには「英雄の広場」という意味のエロ広場(Place des Héros)があります。そして、その隣にあるのが前述のクリスマスマーケットの舞台でもあるグラン・プラス(Grand’Place)。この2つの広場に沿って155軒のバロック・フランドル様式の建物が整然と並んでいます。

ハプスブルク家の統治下オランダの一部を形成していたこともあり、ベルギー北部やアムステルダムなどに似た街の雰囲気を感じられますが、このように全てが同じ様式で調和が取れた広場はヨーロッパでも唯一のもの。他に類を見ることのない美しさと言えます。

アラスの中心街にあるエロ広場

ところで、なぜアラスの2つの広場の建物は全て同じ建築様式で建てられているのでしょう?

これは、16世紀にアラスを支配していた当時のスペイン国王フィリップ2世の政策によるもの。火事を避けるために建築資材としての木材の利用は禁じられ、なおかつ広場の均整のとれた美観を保つため建築様式は厳格に統一されたためです。

実は、これらの建物の多くは第一次世界大戦のドイツ軍の攻撃により大部分は破壊されました。しかしながら、戦後、建築当初と全く同じ姿に復元されています。

第一次世界大戦後のアラスのグラン・プラス

近隣の町の多くは再建のためにその当時の流行に沿った建築様式が使われたことからも、この町の再建方法は当時でも異例とも言えるかもしれません。鐘楼を見上げながら美しい2つの広場を歩くと、そんな暗い歴史があったとはにわかに信じることができませんね。

ちなみに、現在ではグラン・プラスでは毎冬にクリスマスマーケットが開催されています。北フランスでも屈指の規模を誇り、「ノエル(フランス語でクリスマス)の街」としても知られるようになっています。

3. あのピーター・ジャクソンも!英語圏観光客がアラスを訪れる理由

第一次世界大戦の激戦の地でもあったアラスには毎年多くのイギリス、カナダ、ニュージーランド、オーストラリアなどから多くの観光客が戦場で命を落とした先人の記憶を辿ってやって来ます。

その中には映画「ロード・オブ・ザ・リング」や「ホビット」の監督としても知られるピーター・ジャクソンの姿も。

ニュージーランド生まれで第一次世界大戦の歴史に並々ならぶ情熱を注ぐ彼は第一次世界大戦を扱った「They Shall Not Grow Old*」という作品も発表しています。実は彼はアラスの歴史にも大変な関心を持っており、町のある場所を目当てに何度も足を運んでいます。

その場所とはウェリントン坑道(Carrière Wellington)。かつて町の建築物の多くの石材を採掘するために掘られた石灰石の坑道であったウェリントン坑道は、第一次世界大戦中の1917年の「アラスの戦い」の舞台の一つでした。

ドイツ軍に急襲をかけるため、地下20メートルに24000人ものイギリス帝国軍兵が1週間息を潜め、生活をしたのです。

予想だにしていなかった敵襲に当初は驚いたドイツ軍でしたが、戦局は必ずしもイギリス、カナダ、ニュージーランド、オーストラリアなどを含む英連邦軍側には大きく傾くことはなく、両軍共に多くの犠牲者を出す結果となりました。

そして、100年を過ぎた今でも、若くして戦場で命を落とした人兵士たちの子孫がアラスを訪れるのです。

今ではウェリントン坑道では英語とフランス語のガイドとともに所要時間約1時間のツアーを通して、その激戦前夜の兵士たちの様子を知ることができます。

ちなみに、アラスの鐘楼の地下にもボヴ(les Boves)と呼ばれる坑道が広がっており、こちらも同様に英仏のガイドツアーで訪れることができます。町の歴史をより深く知りたい方はぜひどうぞ。

美しい広場と建築、そして戦争の記憶をたどって・・・今も海を越えて多くの観光客がアラスを訪れています。

4. パリからアラスへの行き方

パリの北駅(Gare du Nord)から直通の高速鉄道TGVが出ていて所要時間は1時間弱。

リールからはTGVまたはTERで約20分。リールにある2つの駅(Lille EuropeとLille Flandre)からアラス行きの電車が発着しています。

観光案内所のある街の中心部は徒歩で10分足らずです。

*「They Shall Not Grow Old」は2018年にピーター・ジャクソンが発表した第一次世界大戦を題材にしたドキュメンタリー映画。100年前の当時の映像を最新技術を使ってカラー映像として蘇らせ、編集されています。