ランス市の経済再生の切り札として建てられたルーヴル・ランス美術館
10年前に日本でフランスのランスと言えばシャンパーニュ地方の世界遺産にも指定されている大聖堂のあるランス(Reims)が紹介されていたと思います。しかし、かつては熱狂的なサッカーファンやアール・デコ様式の建築ファンの間で知られていたもう一つのランス(Lens)は、2012年にルーヴル美術館の別館が建てられたことにより注目を浴びるようになりました。そんな「じゃない方」のランス(Lens)のルーヴル美術館ことルーヴル・ランス(Louvre-Lens)の挑戦に迫ってみました。
農村から炭鉱へ発展したランス
フランス北部のノール・パ・ド・カレ地方にあるランスは18世紀末から約150年の間炭鉱によって支えられた街でした。イギリスからフランスへと広がった産業革命の流れの中で、石炭の需要は小さな農村の景色を大きく変えました。街は急激に発展し、鉱山の近くには住宅や学校、教会などのある種の団地のようなものが形成されました。
当時の石炭の輸送に使われたインフラや、一番高いものは140メートルに達する排土のぼた山などは、街の歴史を今に語り継ぐもの。これらは、2012年に「ノール・パ・ド・カレ地方の炭田地帯」としてユネスコの世界遺産にも登録されています。
世界遺産に指定されている炭鉱の跡地に美術館を建てる一大プロジェクト
ランスに世界遺産が生まれたその年に産声をあげたのがルーヴル・ランスでした。ルーヴルの名を冠する2つ目の美術館がランスに生まれたのは、フランス革命後のルーヴル美術館の創立以来の役割でもある「素晴らしい収蔵品の数々と美術館のノウハウを国全体の役に立たせること」を体現するためでもあります。
ルーヴルの分館をフランスの地方都市に作る計画が立ち上がり、2003年にフランス文科省が呼びかけたところ、名乗り出たのがフランス北部のノール・パ・ド・カレ地方でした。当時の大統領のジャック・シラク(Jacques Chirac)が新たなルーヴルが生み出す経済的恩恵がフランスでも恵まれない地域にもたらせることを望んでいたこともこの立候補を後押ししました。
第2のルーヴルをめぐってノール・パ・ド・カレ地方の中からは複数の都市が名乗りを挙げました。リール(Lille)、アラス(Arras)、ブローニュ=シュル=メール(Boulogne-sur-Mer)、そして、第25代フランス大統領のエマニュエル・マクロン(Emmanuel Macron)の出身地のアミアン(Amiens)などが候補でした。それらの候補の中でも当時美術館がなく、炭鉱の閉山によって貧困に喘いでいたランスが最後まで残ったのです。