世界遺産のアラスの鐘楼の地下を探検してみよう

ボヴという名の石灰石坑道が語るアラスの歴史

アラスの地下にはかつて石灰石の坑道があり、中世より城壁や教会の建築のために石材を採掘していました。世界遺産にも登録されている鐘楼とバロック・フランドル様式の美しい建物が整然と並ぶエロ広場(Place des Héros)の地下12メートルには、今も迷路のように採掘によってできた道が張り巡らされていて、当時の様子を知ることができます。観光案内所の主催するガイドツアーに参加してみましょう。

thumb_img_1077_1024
エロ広場

地下12メートルの世界

観光案内所から鐘楼の地下へ伸びる階段を降りてかつての坑道の入り口へ。年間を通じて湿度80パーセント、気温11度の内部は少し肌寒く感じます。エロ広場の地下12メートルに広がるこの坑道はボヴ(Boves)と呼ばれていますが、その言葉の起源は謎に包まれています。諸説ありますが、14世紀の文献には石灰石坑道という意味で使われていたことだけは確かです。

長い階段を降りて最下層の地下12メートルへ。地上にある広場からは想像できない世界がそこには広がっています。観光案内所がなぜガイドツアーを催行しているのかも納得できます。まさに地下の迷宮とも言えるこの空間はガイドなしでは間違いなく迷子になってしまうからです。

地下の坑道が映し出す地上の歴史

ボヴの内部の壁の至る所につるはしの跡が見て取れます。まさにこの坑道が現役だった当時は掘削は全て人力で行われていたことを示す証人でもあります。12世紀に入ると、ボヴの地上にあるエロ広場の原型とも言える広場が形成され始めると、市場が立ち並ぶようになります。そのため、この坑道は崩落の危険のため閉じられ、人々の記憶から消えていくこととなります。しかし、長い間見捨てられていたこの空間は、新たな役割を与えられるのです。

当時エロ広場で開かれていた市は主に肉や野菜、果物など主に生鮮商品を扱っていました。しかし、市場は週3回の開催のため、市場のない日の商品の保存場所に困っていたところ、商品たちはかつての坑道に目をつけたのです。湿度80パーセントのため長い時間は放置できなくとも、常時気温11度という環境は自然の冷蔵庫の役割を果たしました。今もアラスの地下、特に街の中心のグラン・プラス(Grand’ Place)とエロ広場の周りにある建物の地下のスペースは現在もワインセラーや貯蔵庫としてはもちろん、レストランやバーなどとしても利用されています。特に後者はアラスならではの特徴と言えるでしょう。

thumb_img_0618_1024
ボヴの内部

近世はフランス各地と北部の商業の中継地として栄え、その役割を反映していたボヴですが、20世紀に入るとまた違う方法で利用されることとなります。実は第二次世界大戦中にドイツ軍の占領下にあったアラスは連合軍の爆撃を受けることになり、その際に市民の避難場所として使われたのです。爆撃に怯えながら避難生活をした痕跡は今もボヴの中に残されています。

このようにボヴはまさにアラスの歴史の生き証人として、今も街の人々に親しまれています。鐘楼の展望台から、地上から、そしてボヴのある地下から。アラスを訪れた際はこのように色々な角度から見ると街の新たな魅力が発見できること間違いなしです。

ボヴへの入場の仕方

ボヴ(Boves)にはエロ広場にある観光案内所のガイドツアーでのみ入場ができます。残念ながら日本語はありませんが、英語・フランス語でガイドが説明をしてくれます。定員20名の完全予約制なので、参加したい方は早めに観光案内所でチケットを買うことをお勧めします。

アラス観光案内所(フランス語)