祖先の記憶を訪ねてイギリス人やカナダ人がフランス北部に来る理由

今フランス北部で注目されているヘリテージツーリズムとは?

2010年代に入ってフランス北部のオー・ド・フランス地域圏(2016年より統合されたノール・パ・ド・カレ(Nord Pas-de-Calais)地方やピカルディー(Picardie)地方の総称)で盛り上がりを見せているのがヘリテージ・ツーリズム。文字通り自然遺産や文化遺産を観光資源として利用するもので、日本では横浜の赤レンガ倉庫を代表とする近代化産業遺産が代表例です。2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」としてユネスコの世界遺産として登録されたことは記憶に新しいですね。

フランス語ではツーリズム・ド・メモワール(tourisme de mémoire)と呼ばれ、とりわけフランス北部では戦争遺産を利用した観光が注目を集めています。この分野でとりわけ関心が高いのがイギリス人で、フランスにある観光施設にもかかわらずここは英語圏かと耳を疑うくらい多くのイギリス人が足を運ぶくらいです。

第一次世界大戦の激戦地フランス北部へ

以前、Tourisme japonaisでご紹介したカン平和記念博物館などの第二次世界大戦に関する場所や施設が主にノルマンディーに集中しているのに対し、オー・ド・フランスはソンム(Somme)やアラスに代表される第一次世界大戦の激戦地として知られています。

2016年はイギリス・フランスなどの連合軍側とドイツ軍の両陣営の死傷者と行方不明者を合わせると100万人を超えたソンムの戦いの100周年で、開戦された7月1日には英仏の両首脳が見守る中盛大な式典が行われました。そして、2017年4月9日はアラスの戦いからちょうど100周年となり、フランス大統領のフランソワ・オランド(François Hollande)やイギリスの王室をはじめとが集い、命を落とした多くの兵士に思いを馳せました。

当時住民が疎開してイギリスの管理下にあったアラスでは、地下20メートルに掘られたかつての石灰石坑道をニュージーランド人技師たちが6ヶ月かけて巨大地下都市を作り上げ、約24000人のイギリス軍兵士が1週間そこで息を潜めて生活しました。そして、戦線のすぐ近くまで掘り進めた道から爆薬を使って外に出て、イギリス軍は驚いたドイツ軍に奇襲をかけたのです。1917年4月9日5時30分のことでした。両軍合わせて多くの死傷者を出したものの、これにより大戦中で初めてドイツ軍は撤退を余儀なくされたのです。その意味でこのアラスの戦いは大戦の一つの分岐点となったのです。下記の動画はアラスの戦いの概略を説明したものです(フランス語)。

祖先の記憶を辿って

アラスを訪れていたあるイギリス人に話を聞くと、「祖父がアラスの戦いに参加したんだよ」と話してくれました。実際にアラスには戦いで命を落としたイギリス人の集合墓地があり、先祖の名前を探して訪れる人も多くいます。墓石に刻まれた名前の側には享年が記されており、20にも満たない10代が並ぶその数字を見ると胸が締め付けられます。時代は変われど、戦争の凄惨さ風化させてはいけないもので、イギリス人が海を渡ってはるばるフランスにやって来るのはそれを全身で感じるためなのかもしれません。

日本では世界の反対側で主に展開した第一次世界大戦は太平洋戦争ほど語られることはありません。しかし、1902年に締結された日英同盟によって日本は英国に資金面などで後方支援をし、中国のドイツ領などを攻撃していたのは事実でもあります。

カナダが生まれた場所、ヴィミー

アラスを訪れるのはイギリス人だけではありません。かつてのイギリス連邦の国々のニュージーランド、オーストラリア、そしてカナダからも毎年多くの観光客がやって来ます。下の動画はアラスの戦いの100周年の式典と同日にアラスのすぐそばのヴィミー(Vimy)で行われた式典の中でのカナダの首相ジャスティン・トルドー(Justin Trudeau)の英語とフランス語での演説です。

ヴィミーではアラスの戦いと同じ日に当時イギリス連邦として参加していた多くのカナダ人が命を落としました。トルドーは「ここでカナダは生まれたのです」と言いました。ヴィミーでのカナダ兵の戦いぶりは戦局の好転に大きく貢献し、後にヴェルサイユ宮殿での講和条約にイギリス連邦とは別に自らの代表を送り出すことを認められます。まさにこれが真の独立国としてのカナダを踏み出す一歩となるのです。

式典の参列者の胸には赤い花をつけています。これは戦場の塹壕の側によく咲いていたヒナゲシの花をかたどったものです。赤いその花の色は血に染まった塹壕を象徴し、やげてイギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどの連合軍の兵士たちと結びつけられるようになりました。

今もかつての戦場で強く咲き続けている花を見ると、ただ歴史を読むだけでなく戦いが行われた場所に行って実際に感じることの大切さを痛感させられます。そういった意味で、ヘリテージ・ツーリズムは今後大きな役割を担っていくのかもしれません。