フランス北部のアラスとドゥエへ向かったきっかけとは?

コローは1830年に一度だけフランス北部を訪れていたのですが、本格的に訪れるようになったのは1847年に彼の作品を購入した画家のコンスタン・ドュティユー(Constant Dutilleux)との出会いがきっかけです。ドゥエ生まれでアラスにアトリエを持っていた彼はコローを自宅に招きます。そこから2人は行動を共にするようになり、ドゥエやアラスはもちろん、フランス北部のダンケルク(Dunkerque)やサントメール(Saint-Omer)やベルギー、オランダなどを旅して創作活動をするようになりました。
そして、ドュティユーを介してコローに出会った画家たちは彼から影響を受け、彼らは後にアラス派(École d’Arras)と呼ばれるようになりました。コローとアラス派の多くの作品はアラス美術館(Musée des Beaux-Arts d’Arras)でも鑑賞することができます。
ドゥエの鐘楼を訪れる
ドュティユー死後もコローと画家たちの交流は続き、晩年の75歳の時にドゥエで描いた作品が「ドゥエの鐘楼」です。前景に見られる建物の正確な描写と共に街を包む空や雲には、彼独特の繊細な光の表現が見て取れます。実は、この絵の中には自分の姿を描いていて、絵の前景近くの中心部で女性に話しかけている男性がコロー自身です。
彼らのいた道の奥には鐘楼が今も変わらず佇んでいます。14世紀後半に建てられたこの鐘楼は1471年に火事で燃え、現在のものは市役所(hôtel de ville)の隣に1475年にゴシック様式で建てられたものです。頂上にはリールやアラスなどにも見られるフランドル地方のシンボルでもあるライオンが街を見守っています。

この鐘楼の内部はドゥエの観光案内所のツアーでのみ見学が可能です。1時間のガイドツアーでドゥエの鐘楼を介して街の歴史を知ることができ、頂上部分にある62の鐘で構成されたカリヨン(複数の鐘を鍵盤状にして演奏できるようにしたもの)を間近に見ることができます。この鐘の音色は定時になると聞くことができ、中世から変わらず街の時間を刻んでいます。鐘の音に耳を澄ましながら、コローの眺めた風景に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?