ヨーロッパ唯一の美しさを誇る広場があるフランス北部の街アラス

大国の狭間で翻弄されたアラスの歴史

アラス(Arras)の名前はケルト人のアトレバス族(Atrebates)に由来します。パ・ド・カレ(Pas-de-Calais)県の県庁所在地でもあるこの街は中世以降は激動の歴史を刻みました。ブルゴーニュ伯、スペイン・ハプスブルク家の支配などを経て1659年にルイ14世治世のフランスに併合されました。第一次世界大戦時は戦線が街から3kmの位置にあり、1917年のアラスの戦いの時にはイギリス軍の指揮下にありました。第二次世界大戦時はドイツ支配下にあり連合国の爆撃を受けたのです。様々な国の統治にあったその面影は街のあらゆるところに感じられます。

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アラスの中心街にあるエロ広場

ヨーロッパ唯一の美しさを誇る広場

ユネスコ世界遺産にも登録されている鐘楼のある「英雄の広場」という意味のエロ広場(Place des Héros)とグラン・プラス(Grand’Place)の周りには、155軒のバロック・フランドル様式の建物が整然と並んでいます。ハプスブルク家の統治下オランダの一部を形成していたこともあり、ベルギー北部やアムステルダムなどに似た街の雰囲気を感じられますが、このように全てが同じ様式で調和が取れた広場はヨーロッパでも唯一の美しさです。16世紀にアラスを支配していたスペイン国王でもあったフィリップ2世によって火事を避けるために建築資材としての木材の利用は禁じられ、なおかつ広場の均整のとれた美観を保つため建築様式は厳格に統一されました。当時の建物の多くは第一次世界大戦のドイツ軍の攻撃により大部分は破壊されましたが、建築当初と全く同じ姿に復元されました。

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アラスの鐘楼からのエロ広場の眺め

英語圏観光客の巡礼地

第一次世界大戦の激戦の地でもあったアラスには毎年多くのイギリス、カナダ、ニュージーランド、オーストラリアなどから多くの観光客が戦場で命を落とした先人の記憶を辿ってやって来ます。かつての石灰石の坑道であったウェリントン坑道(Carrière Wellington)はアラスの戦いの舞台の一つで、地下20メートルに24000人ものイギリス帝国軍兵が1週間息を潜め、その後ドイツ軍に急襲をかけました。2017年はアラスの戦いからちょうど100周年となり、様々な記念式典が催されます。

アラスの鐘楼
アラスの鐘楼

アラスへの行き方

パリの北駅(Gare du Nord)から直通の高速鉄道TGVが出ていて所要時間は1時間弱です。電車の時刻は下記のSNCFのリンクをご参照ください。

http://www.voyages-sncf.com/

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