19世紀の印象派画家たちが「フリーランス」になった理由
フランスでは19世紀までの職業画家は王室や貴族のお抱えの画家として働くことがほとんどでした。生活が約束される代わりに、歴史や宗教、神話に基づいた絵を描いていました。また絵画は政治的に自らの力を示す道具でもあったため雇用主の肖像画を描くこともしばしばでした。その一方で、アカデミーの存在もあり、フランスでは風景画や風俗画(日常の生活を描いた絵)といったジャンルの絵が日の目を見ることはありませんでした。

後の「印象派」を形成するモネなどの画家達は、王室や貴族に代わって出資者になったアカデミーが主催する展覧会(サロン)には相手にされず、何度も落選の憂き目に遭いました。特にモネは絵で生計を立てることができず貧困に喘ぐほどでした。そこで、彼らは展示会を企画して作品を出品して販売をするということを思いつきました。こうして開かれたのが1874年の第一回印象派展です。そこでモネが出品したのが前述の「印象、日の出」なのです。
第一回は成功と言えるものではありませんでしたが、回を重ねるごとに動員を増やし、銀行家、医者、店主などの19世紀になって台頭した中産階級の顧客を開拓することに成功しました。現在の「アーティスト」のように描きたいものを描いて(といっても現実にはクライアントの意向に反映されることも多いでしょうが)、それを展覧会で売って生計を立てるという現代的な画家の形が生まれた瞬間でもあります。かつては特権階級の同じ雇用主の元で働いていた画家が自ら取引先を選ぶようになったのはまさに「フリーランス」化と言えます。
なぜ彼はノマド化したのか?

19世紀以前の画家はアトリエで絵を描くことが普通でした。絵のジャンルが風景画であっても室内で作品を完成させるのが常でした。しかし19世紀に入って絵の具のチューブが発明されると状況は一変します。まさに大型のデスクトップパソコンが主流だった1990年代から2000年代に入って持ち出しが容易なノートパソコンと小型の無線ルーターが生まれた時と重なります。画家達は絵の具のチューブのおかげで場所を選ばず外で創作活動に励むことができるようになったのです。
同時に写真技術の発達によって、画家達が写実的な絵を描くことよりも写真で捉えられない絵を描くことに重きを置くようになったことも一因です。王や貴族の宮廷画家のために描く時のようにテーマに束縛されることなく、歴史の1ページを描く壁一面を覆うような大作ではなく、持ち運びができる大きさのキャンバスを片手に、当時フランスで急速に発達し始めた鉄道を利用してより頻繁に旅をすることが可能になったことも後押しをしました。こうしてノマド化した画家達はやがて「印象派」を形成するようになったのです。
これまで見てきたように、画家を取り巻く環境と技術的な側面の変化が「印象派」を生み出し、現代のノマドワーカーのように戸外に仕事の場を求めました。現代のアートの分野ではコンピューターはすでに重要なアートの一部ですが、iPadのようなタブレット端末の発達によって外でデジタルの絵を描くことも可能になっています。「時代は繰り返す」と言われますが、技術の進歩は今後も画家の創作物だけでなく働き方も変化させていくのかもしれませんね。