フランス屈指の美しいパッサージュ、ナントのパッサージュ・ポムレ

ナントの栄華を体現するパッサージュ・ポムレ

かつてはブルターニュの都だったナントは大西洋に注ぐロワール川沿岸にあり、近世においては港町として栄えました。とりわけ、18世紀にはフランス最大の奴隷貿易の基地でもあったナントの港には、新大陸から持ち込まれた砂糖やカカオ、コーヒーや胡椒の香りが漂っていました。

ナントのグラスラン劇場
グラスラン劇場(Théâtre Graslin)

こうして築いた莫大な富は当時の街の建物にも表れるようになり、18世紀末には街は西にある丘へと広がっていきます。上の写真のグラスラン劇場もその一つ。そして、19世紀半ばに作られたのがパッサージュ・ポムレ(Passage Pommeraye)です。現在ではナントを代表する建築物の一つで、国の重要文化財にも指定されています。

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パッサージュって何?

パッサージュ・ポムレとはフランスで一番美しいパッサージュの一つとも言われています。パッサージュパッサージュというとパリを連想する方も多いと思います。パッサージュは19世紀の初頭のパリに最初に作られた屋根がある道で、商店が軒を連ねる姿は現在の日本で見られるアーケード街のようなものです。

外見の特徴としては、それ以前に建築の構造にあまり使われることがなかった鉄が屋根の骨組みなどに使われ、天井はガラスで覆われています。建物の中にいながらも空から降り注ぐ日差しのの明るさを感じることができるというのは当時とても画期的なことでした。雨が降っても濡れずに歩けるだけでなく、街の主要な幹線をつないでいたため、近道をすることができました。

19世紀後半に入り、プランタンなどに代表されるデパートが作られるようになると、次第にパッサージュは姿を消していきました。現在保存されているものの多くはパリで見られますが、ナントのパッサージュ・ポムレはパッサージュの傑作の一つとも言えます。

若き公証人ポムレの思惑

1843年に完成したパッサージュ・ポムレの名前は公証人のルイ・ポムレ(Louis Pommeraye)に由来します。彼は、不衛生で評判の悪かった界隈を、パリで当時流行していたパッサージュに変えたいという熱意を胸にこの計画に取り組みました。

ナントのパッサージュ・ポムレの大階段
テュフォー(tuffeau)と呼ばれるロワール渓谷の古城などにも使われる石灰岩が使われている。

彼の行く手には多くの難関が待ち構えていました。地元の住民の反対とともに、彼が最も頭を悩ましたのは技術的な問題。標高差が9.4メートルある斜面にあったことから工事は難航し、3年間の工期を要しました。しかしながら、その困難な立地条件がヨーロッパでも例を見ない3階建てのパッサージュを生み出したのです。

パッサージュ・ポムレには2つの建築様式が使われています。ギリシャや古代ローマの美術を彷彿させる新古典主義と、色々な過去の建築や美術の様式を組み合わせた19世紀ならではの折衷主義。これらは伝統的な建築材である石と、19世紀を象徴するガラスと鉄によって具現化されています。

このパッサージュはまさに過去を踏襲しつつも現代性を兼ね備えていて、それゆえに当時のナントの人の心を捉えたのかもしれません。ルイ・ポムレの思惑通り、このパッサージュは産業革命による経済的な発展の後押しを受けて台頭したブルジョワ階級が通うようになりました。歩きながら周りを見渡すと至るところにある美しい彫像やレリーフの数々を見ると、当時のナントの繁栄ぶりを感じることができます。

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