ブルターニュの旗はモン・サン・ミッシェルで歓迎されない理由

あれは3月初めの大潮のことでした。いつものようにモン・サン・ミッシェルに行くと、城壁の入り口付近にいつもは見られない旗が掲げられていました。
Gwenn ha duとも呼ばれるこの旗はブルトン語で白と黒という意味。その名の通り、白と黒の2色のストライプのこの旗の右上の部分には、アーミンとも呼ばれる9つのオコジョの毛皮を形どった紋章が見てとれます。ブルターニュの象徴とも言える旗なのです。
「この旗がモン・サン・ミッシェルに掲げられているということは何かしら意味があるに違いない。」と私は思いました。なぜなら、モン・サン・ミッシェルの歴史を知っていれば、この行為はとても勇気がいることだからです(詳しくは下記の記事をどうぞ)。
なぜブルターニュの旗がモン・サン・ミッシェルに?
現在はノルマンディー地方に属しているモン・サン・ミッシェルですが、元々はブルターニュ公に属していました。そのため、愛国主義にも近い郷土愛の強い人の中には、今だにモン・サン・ミッシェルはブルターニュのものだと主張する人もいるのです。
そして、同様にノルマンディーの人たちにとってもそれは同じです。彼らにとっては議論の余地なくモン・サン・ミッシェルはノルマンディーのものなのです。もしもノルマンディーとブルターニュがそれぞれ別の国だったら、間違いなく今頃はモン・サン・ミッシェルを巡っての領土問題になっていたことでしょう。
そういった歴史を考えると、例えばブルターニュ地方の要人を招くということで敬意を表すためにブルターニュの旗を掲げたのかな?と思いました。あるいは、年に数回の大潮で島と陸をつなぐ橋が一部沈下して完全な島の姿を取り戻すことから、その特別な機会を祝うためのものなのかな・・・などと色々な仮説を立てたのです。