ブルターニュVSノルマンディー!モン・サン・ミッシェルは誰のもの?

地理的にはブルターニュ地方に近いが・・・そう簡単ではないこの問題

皆さんは富士山がどこの県のものかご存知でしょうか?

静岡県?それとも山梨県?

正解はどちらでもありません。実は8合目以上は境界線がなく、富士山本宮浅間神社の所有地となっています。

では、日本で最も知られたフランスの世界遺産の一つのモン・サン=ミッシェル(Mont-Saint-Michel)の場合はどうでしょうか?地理的にはブルターニュ(Bretagne)地方の方が近いですが、現在は行政上はノルマンディー(Normandie)に属しています。

実際のところ、モン・サン・ミッシェルをめぐるブルトン人(ブルターニュ地方の住民)とノルマン人(ノルマンディー地方の住民)の歴史長く、行政上の境界線というだからという理由で割り切れないものがあります。そして、この議論は1000年以上たった今でも続いているのです。

Mont-Saint-Michel breton

かつてはブルターニュにあったモン・サン・ミッシェル

発端は867年に結ばれたコンピエーニュ条約(traité de Compiègne)に遡ります。当時の西フランク王のシャルル2世がブルターニュ王のサロモン・ド・ブルターニュにモン・サン・ミッシェルを譲渡したことに始まります。

その後、11世紀になり伝統的にブルターニュとノルマンディーの境界を決める際に、両国の境界線と考えられていたクエノン川(le Coesnon)が話題に上りました。現在のペイ・ド・ラ・ロワール地方のマイエンヌ県からブルターニュ地方、そしてノルマンディー地方と3つの地方を約100kmに渡って流れるこの川は当時その気まぐれさで知られていました。

潮の満ち引きによってその流れる場所を度々変えたことから、河口部分の位置によって決められていたモン・サン・ミッシェルの領有権は二転三転としていたのでした。そういった経緯もあり、当然モン・サン・ミッシェルはどちらのものかという話になり、最終的にノルマンディー地方に帰属することとなりました。その後、ノルマンディー地方はフランス王国に併合され、そのまま現在に至っているのです。

現在もブルターニュの人は恨み節も込めてこう言います。

「クエノン川の狂気のせいでモン・サン・ミッシェルはノルマンディーのものになった」

ブルターニュとノルマンディーのライバル関係

このように中世以降はノルマンディー地方に属しているモン・サン=ミッシェルですが、今なおブルトン人(ブルターニュ地方の住民)は自分たちのものだと主張し、ノルマン人(ノルマンディーの住民)との間でしばしば議論になります。

2016年にはフランスのある出版社が地理の教科書にモン・サン=ミッシェルはブルターニュ地方にあると記載してしまいました。ノルマンディー地方にあるカーン(Caen)の女子高生がTwitterに教科書の写真を載せて「私の教科書はブルトン人が作ったんだと思う」と書いて炎上してニュースになるほどの騒ぎになりました。

「西洋の奇跡」とも呼ばれる世界遺産を巡っては、根底には隣同士の2つの地方のライバル関係があるのかもしれません。実はモン・サン=ミッシェルだけでなく、両地方の名産でもあるりんごのお酒のシードル(cidre)を巡っても同じような主張がされています。地元愛の強い彼らのライバル関係が続く限り、1000年後もモン・サン・ミッシェルを巡って舌戦を繰り広げているかもしれません。

モン・サン・ミッシェルガイドツアー