イングランド王ウィリアム征服王の妻マティルダが眠るカンの女子修道院

ノルマンディー地方のカルヴァドス(Calvados)県の県庁所在地のカン(Caen)には2つの修道院があります。一つは、カン旧市街の西側に位置する男子修道院(Abbaye aux Hommes)。そしてもう一つは、カン城(Château de Caen)を街の東側の小高い丘にある女子修道院(Abbaye aux Dames)です。
この2つの修道院には、現在のイギリス王室の家系につながるノルマン朝を開いたイングランド王夫妻が別々に眠っています。男子修道院はノルマンディー公であり、1066年にイングランド王となるウィリアム1世(フランス語ではギヨーム)。そして、女子修道院は彼の妻であるマティルダが永眠しています。2人はそれぞれの修道院の創設者でもあります。
同じ街にある2つの修道院にそれぞれ別々に眠る2人。何だか意味深に感じるのは私でしょうか?実はこの夫妻が結婚するまで、そして結婚生活においても多くのエピソードが残されています。
フランドル伯から嫁いできたマティルダの悲哀?

マティルダはマティルダ・オブ・フランダース(Matilda of Flanders)と呼ばれるように、元々はフランダース、つまり現在のベルギーやオランダ、フランス北部のフランドル伯の娘でした。
当時ノルマンディー公だったウィリアムとの縁談の話が持ち上がったとき、マティルダは強い難色を示したようです。というのは、ウィリアムは私生児だったからです。家柄や身分を気にするマティルダはこの「格差婚」を嫌い、「ウィリアムのもとに行くくらいなら、頭巾を被った尼僧になった方がいい」とまで言ったようです。
一方で、非嫡出子であることを気にしていたウィリアムはマティルダの発言を聞いて激怒します。そして、馬にまたがりブルージュの方向へ一直線。彼女の住む城に乗り込むと、寝室まで行き、拳と剣で文字通り鉄拳制裁を行ったのです。
普通であればウィリアムのことを憎むようになるところですが、マティルダは違いました。嫌いになるどころか、彼女はウィリアムにすっかり魅了されてしまいます。挙句の果てに「私は生涯、婚約者以外の誰とも一緒になりません。なぜなら他の誰も彼にはかなわないからです。」とまで言いました。これが史実かどうかは定かではありませんが、もはや伝説と言われるカップルを象徴するエピソードの一つです。時代が違えば色々な愛の形があるのかもしれません・・・。