ノルマンディー地方カンとイングランド王ウィリアム征服王の意外なつながりとは?

イングランド王ウィリアム1世とノルマンディー公ギヨーム2世は同一人物?

ノルマンディー地方と聞いて思い浮かぶ歴史上の出来事の一つが「ノルマンディー上陸作戦」ではないでしょうか。カルヴァドス県の県都でもあるカン(Caen)は、第二次世界大戦の戦局を変えた連合軍によるドイツ占領下のフランスへの侵攻作戦の舞台となった街でもあります。

もう一つ、このカンという街は世界史を勉強したことある方なら聞いたことある人物と深い関わりがあります。「ノルマン・コンクエスト」という言葉を聞いたことがありませんか?

ウィリアム征服王の戴冠

ノルマン・コンクエストとは1066年にノルマンディー公ギヨーム2世がヘイスティングスの戦いによりイングランドを征服したことを指します。これにより、彼はイングランド王ウィリアム1世として即位します。カンはそんな彼によってその礎が築かれた街なのです。

ちなみに、英語のウィリアム(William)はフランス語ではギヨーム(Guillame)に対応しており、違う名前のように見えますが、実は英語かフランス語かの問題で同じ名前なのです。スペイン語だとギジェルモあるいはギリェルモ(Guillermo)、ドイツ語だとヴィルヘルム(Wilhelm)と呼ばれます。ややこしいですが、知っておくと世界史が少し身近に感じられますね。

ギヨーム2世がイングランド征服を目指した理由とは?

feature-image

ところで、そもそもなぜノルマンディー公ギヨーム2世はイングランドに侵略したのでしょうか?

実はこれは当時のイングランド王の死後の相続問題に起因しているのです。1066年に当時のイングランド王エドワード懺悔王(Edward the Confessor)が子息を残すことなく息を引き取ります。世襲制の決まりがしっかりと定義されていなかった当時、当然のごとく後継者問題が浮上する中、アングロ・サクソンの諸侯達によって選ばれたのはハロルド(Harold)でした。これに反発したのが、エドワードの従甥にあたるノルマンディー公ギヨーム2世だったのです。

ギヨーム2世は生前にエドワードが後継として自分に王座を約束していたと主張します。騙されたと感じた彼は、力ずくで王座を手にしようと、兵と物資を集めて1066年の夏にイングランドに上陸します。そして、イングランドの南岸にあるヘイスティングス(Hastings)でハロルド率いる軍を破り、その年のクリスマスにイングランド王ウィリアム1世として戴冠したのです。後に彼はウィリアム征服王(英語ではWilliam the Conqueror、フランス語ではGuillaume le Conquérant)と呼ばれるようになりました。