リヨンのフルヴィエールの丘で二千年の街の歴史を感じる

二千年のリヨンの歴史を一望できるフルヴィエールの丘

リヨンのベルクール広場
リヨンのベルクール広場から見たフルヴィエールの丘

フランス南東部にあるリヨン(Lyon)という名前を聞いて何を思い浮かべますか?

伝統的なブション・リヨネやリヨンが誇る伝説の料理人ポール・ボキューズ(Paul Bocuse)に代表される美食の街としての姿でしょうか?

それとも、ユネスコ世界遺産にも指定されているルネサンス建築の宝庫である歴史地区の色とりどりの建物の数々でしょうか?

リヨンがフランス国内外から多くの観光客を惹きつけてやまないその理由は、訪れた人の味覚と知覚を刺激する要素が街中にあふれているからではないでしょうか。そして、「ローマは1日にして成らず」というように、二千年という長い歴史を経て生み出された街であることとも無関係ではないでしょう。

かつてはローマの植民都市だったリヨン

リヨンの公共交通機関の路線図を見ると、「funiculaire(ケーブルカー)」という言葉に一瞬目を疑ってしまいます。リヨン中心部の大きな高低差があるということを意味するこのケーブルカーは、歴史地区からフルヴィエール(Fourvière)の丘へと続いていきます。

フルヴィエールに続くケーブルカー
リヨンの歴史地区からフルヴィエールに続くケーブルカー

フルヴィエールの丘の上にあるフルヴィエール大聖堂(Basilique Notre-Dame de Fourvière)の裏側にあるテラスからは、リヨンの街の輪郭を作る2つの川であるローヌ川とソーヌ川、サン・ジャン大聖堂(Cathédrale Saint-Jean-Baptiste)と歴史地区、フランス屈指のビジネス街のパールデュー(Part-Dieu)の高層ビル群など、街の歴史を織りなす建築物を一望できます。

リヨンには二千年の歴史があり、その起源を辿っていくと古代ローマの時代まで遡ります。その頃、リヨンはルグドゥヌム(Lugudunum)という名前で知られていました。ケルト語で「ルゴス神の砦(丘) 」という意味のこの名の由来は、ローマ人がケルト人が住んでいた属州ガリア(現在のフランス・ベルギー・スイスおよびオランダとドイツの一部)にこの植民都市を現在のフルヴィエールの丘の上に築いたことと無関係ではないでしょう。

フルヴィエールの丘が選ばれたのはその地理的な要因も大きかったと考えられています。紀元前43年に街が築かれてからその二十年後には、ルグドゥヌムはライン川やイギリス海峡などにつながる4つの幹線の出発地点となり、やがてはガリアを代表する経済そして商業都市に発展していきました。