フランスのスーパーならどこにでもあるLUのビスケットの歴史
こんにちは。フランス政府公認ガイドの濵口謙司(@tourismjaponais)です。
大西洋に注ぐロワール川の河口近くにあるナント(Nantes)。街には19世紀から20世紀にかけて産業化していった時代の生き証人とも言える建物が多く存在しています。
駅から数分歩くと見えてくる色とりどりの装飾が特徴的な塔(下の写真)もその一つ。その名はリュー・ユニーク(Lieu Unique)。頭文字を取るとLU。フランスのスーパーに行くと必ずと言っていいほど売っている有名なビスケット製造会社の名前と一致します。

実はこの建物はかつてのLUの工場として使われていたところ。現在はレストランや本屋、展示スペースなどの複合施設として使用されています。建物の内部に入ると、ナントのシンボルでもあるビスケットが作られていた当時の様子を偲ぶことができます。
LUのブランドの歴史は街の発展を映したものでもありました。今回はそんなナントで創業されたLUのビスケットについてお話ししたいと思います。
目次
1. LUの名前の由来とは?

上の絵はLUのかつてのポスターです。絵の中心でビスケットをほおばる少年の周りにあるLUの文字。そして、彼の足元にはBiscuits(フランス語でビスケット)と共にLEFÈVRE-UTILEの文字が。このLefèvreとUtileはLUの創業者夫妻の名前です。
1846年にナントで創業されたビスケット専門のお菓子屋はRomain Lefèvre(ロマン・ルフェーヴル)とIsabelle Utile(イザベル・ユティル)の2人の名前をとってBiscuits Lefèvre-Utileと名付けられました。
2人は世界で一番のビスケットを作るという目標を掲げました。その情熱は少しずつ身を結び、やがてナントでの評判を確かなものにしていきます。
2. LUがフランスを代表するビスケットのブランドになった理由
1883年に彼らの息子のルイ(Louis)が事業を継いでからは、家族経営だった小さなお菓子屋から現代的な企業へと成長を遂げます。
3年後にはその後のLUブランドを象徴する商品となるPetit Beurre(現在のPetit LU)を生み出しました。ルイは現代的なマーケティングの感覚を持ち合わせていて、当時最先端のアートを積極的に使う事で会社のイメージを売りだす事に成功しました。
先ほどご紹介したポスターもその時のもので、チョコレート会社のムニエー(Menier)などのポスターなどを手がけたイラストレーターのフィルマン・ブイッセ(Firmin Bouisset)の作品です。

また、生産を拡大するために機械化を推し進めていき、大きな機械を導入するために新たな工場を建てました。上の写真は当時の工場の様子でアール・ヌヴォー様式の2つの塔が左右対称に並んでいます。ホテル建設のために右側の塔は撤去されましたが、左側の塔は修復されて冒頭でご紹介した現在のリュー・ユニークとなっています。
そして、1900年に開催されたパリ万国博覧会に出店したLUは世界的に名前を知られるようになります。
ルイはエッフェル塔のふもとにパヴィリオンとしてもう一つの塔を建てました。この塔とナントに建てた新しい工場には広告手法に共通するルイのアートを使ったイメージブランディングを垣間見れます。

頭頂部にビスケットの箱のようなものを冠した灯台のような姿と、当時の芸術の潮流を反映した豊かな色彩表現と曲線を駆使したシルエット。すでにアメリカやヨーロッパ各国で流行していた国際的な芸術運動アール・ヌーヴォー(新しい芸術という意味)の展示会の様相を呈していたこの万博においても、このLUのパヴィリオンは圧倒的な存在感を放ちました。そして、この万博においてLUはユニーク大賞を受賞することとなります。
3. フランス国外でも食べられるビスケットへ
20世紀中盤には現在も使われている赤に白字でLUと書かれたシンプルなロゴを採用。さらには、それまで金属だった箱を紙の箱に変え、そしてビスケットの写真を採用するなど今に通じるパッケージをいち早く取り入れました。
その後、フランス市場が飽和状態だったことから、ヨーロッパへ進出すべく合併・統合を繰り返し、1970年代末には世界第3位のビスケットメーカーとなりました。
現在では日本でもおなじみのナビスコやオレオ、メントスなどと共にアメリカの食品企業モンデリーズ・インターナショナルの傘下に入り、LUブランドでビスケットに止まらず様々なお菓子を販売しています。また、これは余談ですが、フランスでMIKADOとして知られるポッキーも江崎グリコのライセンス製品としてLUの名でフランスのスーパーに並んでいます。

LUが生まれた街ナントを歩くと、かつての広告に使われたビスケットをかじる少年のイラストがついたお土産の数々を見かけます。そして今も姿をとどめるかつての工場であるリュー・ユニークの塔を見ると、1900年のパリ万博でまさに地元から全国区になっていった頃に思いを馳せることができます。そして、当時の看板商品の血を受け継いだPetit LUには今でもNantesの文字が刻まれています。
今では世界中で食べられているLUですが、21世紀になった今でもナントのシンボルであり続けているのです。