これってプール?ルーベの美術館「ラ・ピシーヌ」の知られざる誕生秘話

「フランスで一番美しいプール」が生まれた理由とは?

こんにちは。フランス政府公認ガイドの濵口謙司(@tourismjaponais)です。

フランス北部の街リールの郊外にルーベ(Roubaix)という小さい町があります。

ここにある「ラ・ピシーヌ」(La Piscine、正式名称はMusée d’art et d’industrie André-Diligent)という美術館は他に類を見ないプールを改装して作られたものです。

日の出を思わせる大きなガラス窓から降り注ぐ光。水面に映る彫刻の数々。海の神ネプチューンの姿をした噴水から聞こえる水の音。現在の姿はとても人が泳いでいたとは思えないほどで、その美しさに中に入った途端思わず息を飲んでしまいます。

実は、アール・デコ建築で作られたラ・ピシーヌの建物は「フランスで一番美しいプール」を目指して作られたものなんです。

ところで、どうしてルーベにこの美しいプールができたのでしょう?

そして、どうして美術館になったのでしょうか?

その答えを探して、歴史を紐解いていくと見えるのは、産業革命が進んでいた当時のフランスの姿そのものでもあるのです。

目次

  1. 産業革命の歪みに苦悩したルーベ
  2. 新たな都市計画の一環として生まれた「フランスで一番美しいプール」の建築
  3. プールが閉館した理由とは?
  4. ルーベのプールを美術館に変えたのはオルセー美術館を手がけた建築家
  5. ラ・ピシーヌへのアクセス

1. 産業革命の歪みに苦悩したルーベ

19世紀末から20世紀初頭のルーベは繊維産業で栄えた街でした。一方で、工場が町中に立ち並び、仕事を求めて多くの労働者が流入してきたことで、深刻な問題を抱えるようになりました。

Usine Motte-Bossut
ルーベ市内にあるかつてのモット・ボシュ製糸工場(Usine Motte-Bossut)

急増した労働者に比例するように、限られたスペースを使って町には集合住宅が多く建てられるようになりました。例えば、道に面した商店やバーの脇からは中庭に通じる通路に沿っても住宅が増えていきました。

ところが、こうした密集した住宅には窓は正面部分にしかないために風通しが悪く、日当たりも良くありません。その上、トイレも共同で、水を使えるところも一箇所しかありませんでした。衛生状態の悪化は深刻でした。

パリやリヨンなどの大都市は、ナポレオン3世の帝政下にいち早く新たな都市計画を建てこの問題に取り組んでいましたが、ルーベでは20世紀初頭まで解決策を待たねばなりませんでした。

実際に、ルーベでは衛生状態の悪い住宅が第一次世界大戦前には1500を数えました。当時のルーベは労働者の家庭を中心に結核が蔓延していたため、フランスで最も死亡率が高い街でもありました。

2. 新たな都市計画の一環として生まれた「フランスで一番美しいプール」の建築

そんなルーベの姿を見て育った当時の市長バティスト・ルバ(Baptiste Lebas)は改革に乗り出します。結核が街中に広がるのを防ぐために無料診療所を設け、学童には医療検診とワクチンを受けられるように取り計らいました。そして、12万5000人のルーベ市民の体を健全に保つために温水プール建築を計画しました。

当時フランスにははまだプール施設は数えるほどしかありませんでした。そのため、ブリュッセル、パリ、ナンシー、ストラスブールなどにあったプールを調査した上で、ルーベ市長は「フランスで一番美しいプール」を作るという野心的な計画を立ち上げたのです。

ルーベ美術館内
個人用の浴槽の建物への入り口(左が男性、右が女性)

1922年に必要な土地を買収したルーベ市はこの計画を実現するために建築家アルベール・バール(Albert Baert)に白羽の矢を立てました。

すでにフランス北部のリールやダンケルクでプールを建築した実績を持っていた彼が目指したのは「衛生の神殿(temple de l’hygiène)」。プールだけでなく、家庭に風呂がない人たちのための個室の浴槽、結核予防に効果的な日光浴をするための庭、そして裕福な人たちに向けてはマッサージやフィットネスなどを用意されました。

1932年のピシーヌ
プールとして使われていた頃のラ・ピシーヌ美術館

また、多くの人が混雑なくスムーズに移動できるように庭園を中心にプール、浴槽の建物、食堂を四角形を描くように配置して建物内を循環できるようにしました。これは同じく庭園を中心に形成される修道院建築、中でもブルゴーニュ(Bourgogne)地方のクリュニー修道院(Abbaye de Cluny)を参考にしたものです。

3. ルーベのプールが閉館した理由とは?

こうして1932年に完成したプールは、その後行政の度重なる努力もあり全てのルーベ市民に親しまれるようになりました。

しかし、1970年代に入り新たな問題に直面することに。オイルショックの影響で市はエネルギーの節約を迫られ、プールを温水に保つことができなくなったのです。

対応策として、建物の外から断熱するために通気孔として開けていた穴を塞ぎました。しかし、塩素を含んだ湿気が室内にこもるようになり、建物の中の湿気は天井のコンクリートを蝕むようになりました。ついには屋根が崩壊する危険まで出てきたのです。

急を要する対応を迫られたルーベ市。1930年代の建物を1990年代の安全基準で修復することは新しいプールを建てる方が安価で済むと判断し、1985年にアルベール・バールとルーベ市民の思いがたくさん詰まったプールを閉館する決断を下したのです。

4. ルーベのプールを美術館に変えたのはオルセー美術館を手がけた建築家

こうして閉館となったルーベのプールですが、その後建物を今後どうするのかという議論が続けられることに。数ある案の中で、最終的にルーベのかつてのプールの未来は建築家ジャン=ポール・フィリッポン(Jean-Paul Philippon)の手に委ねられました。

彼は1986年にかつてのパリのオルセー駅の建物を現在のオルセー美術館(musée d’Orsay)として蘇らせた人物としても知られています。

ジャン=ポール・フィリッポンは街の歴史に敬意を払い、かつてプールのあった場所に公衆浴場と織物工場があったことを考慮して、新たな美術館を設計しました。

こうして2001年にオープンしたラ・ピシーヌは絵画や彫刻だけでなく、工芸品や織物などのコレクションを有しており、ルーベの過去の記憶を今に受け継いでいます。

ラ・ピシーヌは普段美術館に行かないような人が訪れるようにコンサートやファッションショーなど美術に限らず様々なイベントを開催し、ルーベ市民が身近に感じられる美術館であろうとしています。

かつてのルーベの「フランスで美しいプール」は今も市民が健やかでいられるよう今もその活動を続けているのです。

5. ラ・ピシーヌへのアクセス

リールより地下鉄2番線(Ligne 2)でGare Jean Lebas駅下車(約15分)、徒歩で50m。