これってプール?ルーベの美術館「ラ・ピシーヌ」の知られざる誕生秘話

「フランスで一番美しいプール」が生まれた理由とは?

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日の出を思わせる大きなガラス窓から降り注ぐ光。水面に映る彫刻の数々。海の神ネプチューンの姿をした噴水から聞こえる水の音。アール・デコ建築のプールを改築した美術館「ラ・ピシーヌ」(La Piscine、正式名称はMusée d’art et d’industrie André-Diligent)は現在ではとても人が泳いでいたとは思えないほどで、その美しさに中に入った途端思わず息を飲んでしまいます。

どうしてプールに美術館ができたのか?そもそもどうしてフランス北部のリール郊外にある小さな街ルーベ(Roubaix)にこのプールができたのか?その歴史を紐解いていくと見えるのは、産業革命が進んでいた当時のフランスの姿そのものでもあります。

フランスにはなぜアール・デコやアール・ヌーヴォー様式の美しいプール建築があるのか?

産業革命の歪みに苦悩したルーベ

Usine Motte-Bossut
ルーベ市内にあるかつてのモット・ボシュ製糸工場(Usine Motte-Bossut)

19世紀末から20世紀初頭のルーベは繊維産業で栄えた街でした。工場が街中に立ち並び、仕事を求めて多くの労働者が流入してきたため、彼らを居住させるために限られたスペースを使って集合住宅が作られました。道に面した商店やバーの脇から中庭に通じる通路に沿って家が立ち並んでいたのですが、窓は正面部分にしかないために風通しが悪く日当たりが悪かったようです。その上に、トイレも共同で、これらの家に対して水を使えるところは一箇所しかありませんでした。

産業革命の歪みが産んだ生活環境の悪化は19世紀後半のフランスでは共通の問題でした。パリやリヨンなどの大都市は、ナポレオン3世の帝政下にいち早く新たな都市計画を建てこの問題に取り組んでいましたが、ルーベでは20世紀初頭まで解決策を待たねばなりませんでした。街には衛生状態の悪い住宅が第一次世界大戦前には1500を数えました。当時のルーベは労働者の家庭を中心に結核が蔓延していたため、フランスで最も死亡率が高い街だったのです。

新たな都市計画の一環として生まれた「フランスで一番美しいプール」の建築

そんなルーベの姿を見て育った当時の市長バティスト・ルバ(Baptiste Lebas)は改革に乗り出します。結核が街中に広がるのを防ぐために無料診療所を設け、学童には医療検診とワクチンを受けられるように取り計らいました。そして、12万5000人のルーベ市民の体を健全に保つために温水プール建築を計画しました。当時はまだプール施設はフランスでは数えるほどしかなかったため、ブリュッセル、パリ、ナンシー、ストラスブールなどにあったプールを調査した上で、ルーベ市長は「フランスで一番美しいプール」を作るという野心的な計画を立ち上げたのです。

ルーベ美術館内
個人用の浴槽の建物への入り口(左が男性、右が女性)

1922年に必要な土地を買収したルーベ市はこの計画を実現するために建築家アルベール・バール(Albert Baert)に白羽の矢を立てました。すでにフランス北部のリールやダンケルクでプールを建築した実績を持っていた彼が目指したのは「衛生の神殿(temple de l’hygiène)」でした。プールだけでなく、家庭に風呂がない人たちのための個室の浴槽、結核予防に効果的な日光浴をするための庭、そして裕福な人たちに向けてはマッサージやフィットネスなどを用意しました。また、多くの人が混雑なくスムーズに移動できるように庭園を中心にプール、浴槽の建物、食堂を四角形を描くように配置して建物内を循環できるようにしました。これは同じく庭園を中心に形成される修道院建築、中でもブルゴーニュ(Bourgogne)地方のクリュニー修道院(Abbaye de Cluny)を参考にしたものです。

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プールとして使われていた頃のラ・ピシーヌ美術館

プールが閉館し美術館になった理由とは?

こうして1932年に完成したプールは、その後行政の度重なる努力もあり全てのルーベ市民に親しまれるようになりました。しかし、1970年代に入りオイルショックの影響で市はエネルギーの節約を迫られ、プールを温水に保つことができなくなります。その為、断熱のために通気の為に開けていた穴を塞いだことから、塩素を含んだ湿気が室内にこもるようになりました。次第に湿気は天井のコンクリートを蝕み、やがて1985年には屋根が崩壊する危険まで出てきていました。1930年代の建物を1990年代の安全基準で修復することは新しいプールを建てる方が安価で済むと判断したルーベ市は、1985年にアルベール・バールとルーベ市民の思いがたくさん詰まったプールを閉館する決断を下したのです。

閉館をしたプールをどうするかという様々な議論がなされ、最終的にこの建物は建築家ジャン=ポール・フィリッポン(Jean-Paul Philippon)に委ねられました。1986年にかつてのパリのオルセー駅の建物を現在のオルセー美術館(musée d’Orsay)として蘇らせた人物としても知られています。彼は街の歴史に敬意を払い、かつてプールのあった場所に公衆浴場と織物工場があったことを考慮して、新たな美術館を設計しました。2001年にオープンしたラ・ピシーヌは絵画や彫刻だけでなく、工芸品や織物などのコレクションを有しているのもそのためです。

ラ・ピシーヌは普段美術館に行かないような人が訪れるようにコンサートやファッションショーなど美術に限らず様々なイベントを開催し、ルーベ市民が身近に感じられる美術館であろうとしています。かつての「フランスで美しいプール」は役割は変われど、市民が健やかでいられるように今もその活動を続けているのです。

ラ・ピシーヌへのアクセス

リールより地下鉄2番線(Ligne 2)でGare Jean Lebas駅下車(約15分)、徒歩で50m

ラ・ピ・シーヌの公式サイト(フランス語)

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