豚の丸焼きから紐解くフランス料理と食肉の歴史

豊かな食肉文化を持つ国、フランス

写真を見て驚かれた方も多いと思います。これはコション・ドゥ・レ(cochon de lait)と呼ばれる乳のみで育った子豚をローストしたフランスの伝統的な料理と一つで、パーティーなど大人数が集まる際によくふるまわれます。約5時間かけてじっくりと火を通し焼き上げます。

フランス人はとても家族の繋がりを大事にするので、例えば結婚◯周年とか誕生日などのパーティーを開く場合、大規模なものだと親戚や友人などが全員集まるのですぐに何十人単位になります。そこで、肉料理を提供すると普通に市販の切り身を焼いても追いつかないので、豚や鶏などを丸ごと買って調理することがよくあります。このように、フランスは肉料理が非常に多彩な国でもあります。

一般的に日本に比べてヨーロッパ諸国は肉を多く食べる傾向にあり、実際に一人当たりの年間消費量も日本人が47.2キロに対しEU諸国は77.7キロ(2012年時点、三井物産戦略研究所調べ)と数字にも裏付けられます。しかし、意外にもフランスの食肉文化の歴史を見ていくと興味深い事実が浮かび上がって来ます。

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コション・ドゥ・レ

意外にも肉を食べる機会が少なかった近代までのフランス市民

日本では古代まで遡ると狩猟文化で、その後も農耕文化になってからも畑を荒らすイノシシや鹿などは狩猟され食肉とされていました。しかし、武家社会になり、武士から農民へと徐々に殺生を禁ずる仏教が広まっていくにつれ、日本での食肉の文化は廃れていきました。

ところが、1868年に明治維新を皮切りに欧米文化が流入し始めると、その傾向に変化が生まれます。牛肉を食することは文明開化の一つの象徴でもあったため、すき焼きなどの日本ならではの料理が生まれました。ちなみに、神戸牛の価値が見出されたのもこの頃で、神戸に来たイギリス人が但馬牛を食べ、その味を絶賛したことに端を発しています。明治初期の当時の農民たちには屠殺するという概念がなかったため、イギリス人たちは自らが牛をさばいたようです。

一方で、その頃のフランスはというと、ナポレオン3世の第二帝政が終わり、大統領を中心とした第三共和制に移行した時期でした。当時、一般のフランス市民の間では、まだあまり食肉の文化には馴染みがありませんでした。実は、1789年のフランス革命以前のフランスは、日本同様に一部の特権階級を除けば農耕社会だったのです。

農民たちにとって、基本的に牛などの家畜は農耕のためのものでした。農民が肉を食べる機会といえば、長年働いた家畜が畑を耕すなどの仕事ができなくなった時のみでした。若い家畜と違って肉が硬いため、長時間煮込んで食べたようです。伝統的なフランス料理にポトフ(pot-au-feu)やブフ・ブルギニョン(Boeuf bourguignon)など煮込む肉料理が多いのはそのためです。

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ブフ・ブルギニョン

一方で、農民を支配する領主の悩みの種の一つはイノシシや鹿などが畑を荒らすことでした。そのため、駆逐のために狩猟をしたのですが、その特権は領主のみに委ねられました。18世紀までは密漁は固く禁じられたため、狩猟は貴族の特権だったわけです。ちなみに、ルイ14世が建築を命じた広大な森に囲まれたベルサイユ宮殿も元々は父親のルイ13世によって作られた狩猟用の館でした。

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