カヌレの味が物語るボルドーの歴史の光と影
こんにちは。フランス政府公認ガイドの濵口謙司(@tourismjaponais)です。
フランス南西部にある街ボルドーといえばワインが有名ですが、街の名物としてよく知られているのがカヌレ(canelé*)。バニラの甘い香りがするお菓子で、外側はカリッとして固く、内側はしっとりと柔らかい食感が特徴です。
*現在の綴りは1985年にはカヌレを製造する同業者組合がボルドーに結成されて以来のもの。それ以前は、ボルドーのカヌレはフランス語でcanneléと綴られ、nを2つで書いていましたが、組合の会議の中で、現在のようにcaneléと表記されるようになりました。
最近では、カヌレは日本でも話題のスイーツとして注目されていて、専門店が全国各地にでき始めているほど。フランスでは、パン屋などで取り扱っている店もありますが、やはり本場はボルドー。街を訪れたらぜひカヌレ専門店を巡って、食べ比べをしたいところです。
今回はカヌレの甘い香りに隠された街の歴史をお話しします。
目次
1. 謎に包まれたカヌレの由来と歴史
カヌレは誰がどのように生み出したのでしょうか?一般的には、18世紀に、ボルドーにあるアヌンシアード修道院の修道女たちが作り出した、というのが現在の定説となっています。
18世紀の末のフランス革命に転機が訪れます。1790年にフランス国内の教会や修道院の多くは国有財産となりました。国中の多くの聖職者同様、アヌンシアード修道院からも修道女たちは追い出されることに。
しかしながら、カヌレのレシピは消えることなく民間の手によって受け継がれました。20世紀に入ってからはパティシエなどによってさらに改良され、現在私たちが食べるカヌレの姿となったのです。
2. カヌレの原材料の由来から知るボルドーのあゆみ

アヌンシアード修道院の改修に伴い行われた発掘調査によると、カヌレを焼き上げるのに使う金型など、修道院でカヌレを作っていたという決定的な証拠となるものは見つからなかったようです。
つまり、カヌレの由来は今も謎のまま・・・。しかし、その材料の由来を知ると、カヌレにはボルドーの歴史が凝縮されていることが分かります。
ワインの輸出と卵の黄身
ボルドーは「月の港」と呼ばれます。その呼び名は、市内を蛇行し流れるガロンヌ川が三日月の形をしていることに起因し、街は古くから商港として繁栄しました。
歴史的に、この港から多く輸出されていたのは、ボルドーの街の富を築いたワインでした。紀元後1世紀には、すでにボルドー周辺にはブドウ畑が広がっていたそうですが、そこでワインが本格的に知られるようになったのは12世紀のこと。
当時、まだボルドーはフランスに属しておらず、現在のフランスの南西部のアキテーヌ公領の中心都市でした。フランス王家の領土をはるかに凌ぐに広大な領地を持っていた当時の当主の名はアリエノール・ダキテーヌ(Aliénor d’Aquitaine)。1152年に、彼女は後のイングランド王ヘンリー2世と結婚。これをきっかけに、イングランドに大量のワインが輸出されるようになりました。
ボルドーでは、澄んだワインを作るためにコラージュという作業が伝統的に行われています。そこで使われるのが、卵の白身。これは、渋みの成分であるタンニンと、卵の白身に含まれるアルブミンというたんぱく質は結びつきやすいという性質を利用したもの。
この作業はおり引き(おりとは液体の底に沈んだ沈殿物のこと)とも呼ばれ、かき混ぜた白身をワインの樽の中に入れ、上記の2つの物質が結合した沈殿物が重くなり、樽の底に沈んだところで、上澄みのワインだけを取り除くという流れです。
この作業を繰り返し、ワインを醸成する作業の中で、大量に余るものがあります。それが、卵の黄身。実は、この余分な黄身を使うために生まれたのがカヌレというわけです。つまり、カヌレにはワインは使われていませんが、ボルドーの街の発展と密接なつながりがあるということです。
アメリカ大陸からもたらされたラムとバニラ
17世紀に入り、オランダ人がボルドーのワインを多く買うようになり、ボルドーのワインの名声はさらなる高まりを見せます。また、当時、ヨーロッパの列強諸国の視線は海外に向けられていました。「新大陸」と呼ばれたアメリカ大陸、西アフリカ、そしてヨーロッパ。イギリスとともに、この三つの大陸をつなぐ貿易、つまり三角貿易で大きな富を得たのがフランスで、ナントに次いでその恩恵を受けた都市がボルドーでした。

ワインなどを積み込み「月の港」を出航した船は、まずは西アフリカへ。そこで、積荷と引き換えに奴隷を積み、中央アメリカのアンティル諸島へと舵を取りました。そこでは、奴隷たちは現地のプランテーションの労働力として売られ、当時のヨーロッパにおいて貴重品だった品物(砂糖や砂糖からできるラム酒、バニラ、コーヒー、ココアなど)と引き換えられました。
三角貿易は航路が長くなりリスクが高いことから、ボルドーから出た船は次第にアフリカを経由せず、アンティル諸島に直接向かうようになっていきました。こうして、ボルドーの港から積み出された小麦とワインは、ラム酒やバニラに変わり戻ってきたというわけです。
アヌンシアード修道院の修道女たちは、卵の黄身に加えて、港に停泊する船の舟倉や、穴があいた袋などから抜け落ちた小麦を使ってカヌレを作っていたと考えられています。また、現在のカヌレには「新大陸」からもたらされたラム酒やバニラも使われています。こうして見ると、カヌレにはボルドーの歴史がたくさん詰まっているようです。

ちなみに、この「新大陸」からもたらされた貴重品は、ボルドーからさらにヨーロッパ中にもたらされました。こうして街が得た富は、ボルドーの街並みを大きく変えました。新たな都市計画に基づいて18世紀に作られた旧市街は、2007年にユネスコ世界遺産に指定されています。
ボルドーに行ったら、旧市街の整然とした建物を眺めながらぜひカヌレを食べてみてください。街の歴史を凝縮した甘い香りが口の中いっぱいに広がっていくのが感じられるはずです。
3. ボルドーのオススメのカヌレの専門店はこちら!

カヌレの専門店はボルドーの駅や空港はもちろん、街中にも至る所にあります。いくつか有名な店がありますが、中でも評判のいい店を2つ紹介します。
両方ともチェーン店でボルドーだけでもかなりの店舗の数があるので、ホームページの上部にあるNos points de venteあるいはBoutiquesのタブをクリックして、観光プランに合わせて近くの店を探してみて下さい。