モネが苦悩し描いたノルマンディー地方のルーアン大聖堂

ルーアン大聖堂と向き合ったモネがこぼした言葉とは?

印象派の画家クロード・モネといえば「光の画家」としても知られています。彼は、1880年代の終わり頃から、光の表現にどんどん傾倒し始めました。変わりゆく光をどのように表現するかを追求するために、来る日も来る日も同じ題材に向かい続けたのです。その代表例が、ジヴェルニーにある自らの庭で描いた睡蓮で、世界中の美術館などに収蔵されている「睡蓮」の数はなんと250近くに上ります。

実は、睡蓮だけでなく、同じテーマを扱った多くの連作を残したモネ。中でも有名なものの一つが、ノルマンディー地方のセーヌ川沿いにある街ルーアン(Rouen)の大聖堂(Cathédrale de Rouen)です。

1892年から1894年にかけて、モネはルーアン大聖堂を主題に描いており、その作品の数は「睡蓮」には及ばないものの、30点以上もあります。一日の時間帯によって変わっていく陽の光と、それに包まれた様々な表情のルーアン大聖堂の姿を、印象派の巨匠は絵の中で表現しています。

モネが見ていたルーアン大聖堂

フランスのゴシック様式の大聖堂を代表するルーアン大聖堂ですが、現在の建物の建築が始まったのは1150年頃のこと。何世紀ものにわたって建てられ、改修の度に姿を変え、現在のような外見になったのは19世紀になってからです。

2つの左右非対称の塔が印象的なファサード(建物の正面部分)の幅は61メートル、そして、建物中央に高くそびえる鋳鉄でできた尖塔は高さ151メートル。その大きさはフランスの数ある大聖堂の中でも屈指のもので、ルーアン大聖堂の前に立つと誰もが存在感に圧倒されます。そして、至るところにほどこされた彫刻の数々はどれも繊細で、その素晴らしさに思わず感嘆の声をあげてしまいます。

現在のルーアン大聖堂は、モネが見ていたものと比べるといくつかの違いがあります。上の2つの写真を比べて見ると、現在のものは中央の扉の上に時計がありません。また、左右の扉の上には以前はなかった小さな尖塔が付け加えられるなどの変化があります。

右の写真は建物の下から撮ったものですが、それと比べると、モネの描いた絵の視点はもう少し上にあります。実は、モネはルーアン大聖堂の前にある建物の2階から描いていました。その一つが、現在では観光案内所がある建物です。

その以前には、当時は衣料品店だった別の建物を間借りしていたこともありました。モネは試着室のある2階を使っていたそうです。試着に来た客は長いひげを生やした男性が一心不乱に絵を描く姿を見ていたわけです(その後、モネは馴染みの絵画収集家を通じて、つい立てを借りたとか・・・)。ここの店主には理解と協力が得られたものの、その後、モネに絵を描くための場所を提供してくれる人を探すのに苦労し、実際にいくつかの場所を転々としています。

疲労にむしばまれ、苦悩するモネ

妻のアリスに書いた手紙によると、モネは朝7時から夜6時までキャンバスに向き合っていました。同時にルーアン大聖堂を扱った何点もの作品を扱うこともあり、肉体的な疲労は相当なものでした。

また、ルーアンでの滞在が終わる頃になり、「ようやく大聖堂のことが理解できるようになった」と彼自身が言っていることからも、ルーアン大聖堂を描くことはモネにとって大きな試練だったのは間違いありません。肉体的にも精神的にもぎりぎりだったモネは、ついには「大聖堂に襲われる悪夢を見た」と手紙の中で綴っています。

こうして完成したルーアン大聖堂の連作は、1895年に一般に公開され、親交のあった印象派の画家のルノワールやドガなどにも賞賛されました。現在では、そのいくつかを、フランスのパリのオルセー美術館やルーアン美術館などで鑑賞することができます。

モネの描いたルーアン大聖堂の絵を見てから、建物の実物を様々な時間帯に見てみると、同じ建物なのに時間帯によって表情を刻々と変えていくことに改めて気づかされます。ルーアンは見どころが多い街なので、ぜひゆっくり時間をとって、観光の合間に大聖堂の前を何度か通ってみてください。もしかしたら、モネが描いた光に包まれた大聖堂に出会えるかもしれません。

ライトアップされたルーアン大聖堂

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