1月6日のキリストの公現祭に食べるガレット・デ・ロワの由来・歴史・習慣
こんにちは。フランス政府公認ガイドの濵口謙司(@tourismjaponais)です。
年が明けて、まだクリスマスツリーが街のあちらこちらに見られる1月の始め。この時期のフランス人の一つは何と言ってもガレット・デ・ロワ(galette des rois)です。
キリスト教の公現祭である1月6日を祝うために食べられるこのお菓子は、1月末までフランス各地のパン屋さんで買うことができ、フランスの年始の風物詩となっています。
2017年のパン製造業連盟の調査によれば、前年の12月26日から1月末までの間に約三千万個のガレット・デ・ロワが売れたそうです。フランスの人口に当てはめると、フランス人の2人に1人が食べた計算になります。ちなみに、85パーセントのフランス人が公現祭を祝っているということです。
日本でも全国各地で取扱店が増えていて、ガレット・デ・ロワは年々注目度が高まっています。ところで、なぜフランスでガレット・デ・ロワが食べられるようになったのでしょう?
目次
- ガレット・デ・ロワを食べるのは冬至を祝う古代ローマの習慣から
- なぜ1月6日にガレット・デ・ロワが食べられるのか
- 現在の形のガレット・デ・ロワを食べ始めたのはいつくらいから?
- 一人でもやはり食べたいガレット・デ・ロワ
1. ガレット・デ・ロワを食べるのは冬至を祝う古代ローマの習慣から
フランスのことを知る上でヨーロッパの歴史やキリスト教との関わりを見逃すことはできません。ガレット・デ・ロワの場合はキリスト教の公現祭です。フランス語では「épiphanie」と言いますが、その語源はギリシャ語で「出現」を意味します。誰の出現かというと1月6日から12日前の12月25日に生まれたイエス・キリストの出現(顕現)です。
しかし、一説によるとガレット・デ・ロワを食べる習慣の起源は古代ローマの習慣に由来していると言われています。冬至の前にサートゥルナーリア祭という土星の守護神であり農耕の神のサートゥルヌス(英語ではサターン)を祝う祭りがありました。冬至までの1週間ほどの間だけ主人と奴隷の身分を問わず同じ食卓につくことが許されていました。
当時の古代ローマの暦では12月25日は冬至の日でした。冬至は1年で一番日が短くなる日ですが、別の言い方をすれば、それ以降は日照時間がどんどん長くなるということでもあり、光が世界に戻ってくる象徴でもありました。

ちなみに、キリストの降誕日*が12月25日であることも偶然ではありません。実は彼が誕生した日を記録した文書はどこにも残されていません。この日に指定されるようになったのは4世紀、キリスト教をローマ帝国で公認した皇帝コンスタンティヌス治世下のことです。それまでは異教徒としてキリスト教徒は迫害されていましたが、皇帝自らが信仰し、布教に努めました。これはキリスト教の持つ教義や組織力に目をつけた皇帝は国の統治を容易にするためという側面もあったようです。
また、コンスタンティヌス自らは古代ローマで隆盛した太陽神ミトラの信仰であるミトラ教の信者でした。ミトラ教にとって12月25日は太陽神ミトラスが再び生まれる日でもあり、キリスト教の救世主であるキリストの生誕を盛大に祝う日としてはまさにうってつけだったのです。
*厳密にはキリスト教では12月25日はキリストの誕生日ではなく降誕を祝う日として定められています。
2. なぜ1月6日に食べられるのか?
このように、冬至と古代ローマの風習が合わさって4世紀にキリストの降誕日が定められたわけですが、キリスト教会はさらに「救世主」としてのキリストが出現したことを世に示すために12日後に公現祭として祝うようになりました。つまり、12月25日が身近な人たちへのお披露目であれば、1月6日は世界中にキリストが救世主として現れたことを示すためでした。
公現祭はキリストにまつわる3つの神秘、つまり「イエスの洗礼」、「カナの婚礼」、そして「東方三賢王の礼拝」です。とりわけ、最後の神秘がガレット・デ・ロワと深い関わりがあります。ロワとは王のことを指し、ここでは東方三賢王のことを意味するからです。

東方三賢王は東方の三博士などとも呼ばれますが、ペルシアの東方ペルシアの占星術者でした。彼らは新星が現れるのを目にし、その行方を追ってベツレヘムに辿り着き、キリストに3つの贈り物(黄金、乳香、没薬)を捧げました。スペインなどではこのことから伝統的に子供達がプレゼントをもらうのはクリスマスではなく公現祭の1月6日だそうです。
ちなみに、現在では1月6日は平日になることも多いこともあり、その翌日曜日ガレット・デ・ロワを食べることが慣習になっているようです。また、1月中はパン屋さんに行くとガレット・デ・ロワを買うことができます。
3. 現在の形のガレット・デ・ロワを食べ始めたのはいつくらいから?
ガレット・デ・ロワは元々はただのパンだった
ガレット・デ・ロワと一口に言っても、実は地域によって色々な形や種類があります。フランス南部に行けばブリオッシュ生地で砂糖漬けの果物を乗せたガトー・デ・ロワ(gâteau des rois)が主流です。しかし、元々はただのパンだったようで、時代とともにレシピに改良が加えられました。
現在一般的に知られるパイ生地にアーモンドペーストのクリームの入ったガレット・デ・ロワが登場したのは17世紀のことです。これはルイ13世の王妃アンヌ・ドートリッシュ(Anne d’Autriche)とその息子ルイ14世の働きかけによるものだと言われています。このパイ生地のガレット・デ・ロワは「パリ風」とも呼ばれています。
ガレット・デ・ロワの中に入っているフェーヴの由来
地域や時代は違えど変わらないのが中に入っているフェーヴ(fève)です。フェーブとは現代のフランス語で「ソラ豆」を意味します。春に一番最初に生える植物であり、豊穣の象徴でもあります。
実際に、中世からガレット・デ・ロワの先祖となるパンの中には既に豆が一つだけ入れられていました。なぜ豆を入れるのかというと、「王」を選ぶためです。この風習のルーツも前述のサートゥルナーリア祭にあると考えられていますが、14世紀にはパンを切り分けて、豆のあるものを引いた人が「王」となって、その場の食卓を奢るという慣習が始まっていたようです。

しかし、ここで問題となるのが、その場限りの「王」になってお金を出したく人は豆ごと飲み込んでしまうことでした。そこで、豆の代わりに入れたのが陶器で作られたフェーヴでした。こうしてしまえば飲み込んでしまう心配が無くなりますね。
現在ではフェーヴは色々な形があり、コレクションをする人も多くいます。かといって、フェーヴのために1つ15ユーロから25ユーロする大きなガレット・デ・ロワを食べる訳にもいかないので、コレクターや家庭で作る人のためにフェーヴだけ単品やセットで売られています。
ちなみに、フランス北西部のナント(Nantes)の40キロ北にあるブラン(Blain)という街にある博物館にはなんと二万種類以上のフェーヴのコレクションがあるそうです。
ガレット・デ・ロワの上にある王冠に関する逸話
フェーヴと並んでガレット・デ・ロワに欠かせない要素の一つが王冠です。既に15世紀にはフランス王家の紋章でもある百合の花と三賢者の名前がついた金属製の王冠が飾られていたようです。
余談ですが、新年になるとエリゼ宮ではフランス大統領が多くの招待客を招いて、フランスで一番のパン職人によって作られた巨大なガレット・デ・ロワを振舞います。
このガレット・デ・ロワには王冠やフェーヴがないのですが、これは絶対王政が崩れたフランス革命の名残で、現在のフランスは共和制であり王や王女がいないことに起因するものです。もっとも、家族や友人で食べる場合はフェーヴを引いたら王様や王女様気分を楽しみたいですね。
4. 一人でもやはり食べたいガレット・デ・ロワ
フランスを一人で旅行していて、ガレット・デ・ロワを食べたいという場合はおひとりさま用のものもパン屋さんによっては販売しています。フェーヴは入ってないですが、お土産にフェーヴを買って帰るというのもいいですね。
もちろん、大きなものを買って全部食べるというのもありですが・・・七草がゆよりははるかにカロリーが高いので食べ過ぎには気をつけてくださいね。

モン・サン・ミッシェルやレンヌなどの周辺都市のショッピング、グルメ、見どころを網羅したガイドブック「神秘の島に魅せられて モン・サン・ミッシェルと近郊の街へ」がイカロス出版より発売中。地元在住の仏政府公認ガイドである本ウェブサイトの著者が厳選した情報が満載です。