フランス北部と東部で子供達が待つのはサンタクロースよりもサン・ニコラ?

サンタクロースのモデルになった実在の人物サン・ニコラ

サン・ニコラの行列
ブローニュ・シュル・メールのサン・ニコラのパレード

皆さんは12月6日が何の日か知っていますか?

この日はフランスでは特に北部と東部の子供達が待ち望む日でもあります。12月6日は子供の守護神でもあるサン・ニコラ(Saint-Nicolas)の日で、彼はいい子にしている子供達にお菓子などのプレゼントを持ってきてくれます。この習慣はフランス北部と東部だけでなくオランダやベルギー、ドイツの他ヨーロッパの多くの国で共通のものです。

ところで、12月に子供達にプレゼントを持ってくる人といえばサンタクロースが真っ先に浮かびます。実は、サン・ニコラはサンタクロースのモデルになった人と言われています。

サン・ニコラはどんな人?

ブローニュ・シュル・メールのサン・ニコラ教会
ブローニュ・シュル・メールのサン・ニコラ教会

フランス北部のロレーヌ地方の聖人としても知られているサン・ニコラですが、本当に実在した人物でもあります。サン・ニコラはフランス語での読み方(サンは英語ではセイントつまり「聖」、ニコラはニコラス)ですが、日本ではミラのニコラオスあるいはミラの聖ニコラオなどとも呼ばれています。現在のトルコ南部にあたるローマ帝国リュキア属州のパタラで270年頃に生まれた彼は、ミラという街で大主教をしたことからこの名前で知られています。

優しく寛大な心の持ち主であったサン・ニコラは生きる伝説として崇められていて、彼が起こした奇跡は多くあります。国によっても内容が異なったりしますが、中でも有名なものが以下のものです。

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サン・ニコラと3人の子供の像

街が大飢饉に見舞われた時のことです。とある肉屋が3人の子供たちを家に誘い込み、斬殺した後、その遺体を桶に入れました。加工してハムとして売ろうと考えていたからです。飢餓に苦しむ住民たちを世話するために街を訪れていたサン・ニコラは、この肉屋の悪行を見抜きます。そして、何と祈りによって死んだはずの子供達を蘇らせました。この奇跡は、彼が子供達の守護神として崇められる所以となっています。

フランス北部のブローニュ・シュル・メールにあるサン・ニコラ教会にはこの奇跡を描いた彫刻が飾られています。ちなみに、サン・ニコラは海運の神としても知られており、海沿いの港町にはサン・ニコラを祀った教会がよく見られます。古くから漁業で栄えた街ブローニュ・シュル・メールもその例に漏れず、現在はフランス最大の漁港を有しています。

19世紀にアメリカで生まれたサンタクロース

ところで、サン・ニコラはなぜサンタクロースのモデルになったのでしょうか?

サンタクロースは19世紀のアメリカで誕生しました。アメリカに移民したオランダ人がもたらしたサン・ニコラの伝統がモデルとなったのです。オランダ語でサン・ニコラはシンタクロース(Sinterclaes)と言います。シンタクロースとサンタクロース、響きが近いので名前の変化も頷けます。

Clement Clarke Moore
クレメント・クラーク・ムーアの「クリスマスの前の晩」

そして、同じく19世紀の1823年にはアメリカの新聞に無名の作者による「サンタクロースがきた(A Visit from St. Nicholas)」という詩が掲載されました。作品の原題のタイトルにはサン・ニコラの名前がありますが、この詩によって、サン・ニコラはサンタクロースとしてアメリカで知られるようになり始めます。後に、この詩はクレメント・クラーク・ムーア(Clement Clarke Moore)の作品として「クリスマスの前の晩(The Night Before Christmas)」としても知られようになります。

白いひげを生やした風貌、トナカイに引かれたソリ、24日の夜に煙突から家の中に入り子供達にプレゼントを渡すサン・ニコラ・・・まさにクリスマス・イヴの夜に現れるサンタクロースそのものです。こうしてサンタクロースは誕生しました。

サンタクロースのイメージを決定づけたコカ・コーラ

上の写真のクレメント・クラーク・ムーアの「クリスマスの前の晩」を見ると、まだサンタクロースは現在知られるような赤い服を着ていません。実は現在のような姿が決定的になるのは1931年のコカ・コーラの宣伝によるものです。

1931年以前から、すでに赤い服を着たサンタクロースがコカ・コーラの宣伝に登場していましたが、サンタクロースそのものというよりはサンタクロースの格好をした男性という感じでした。そこで、冬の販売促進のキャンペーンのために、コカコーラ社はイラストレーターのハッドン・サンドブロム(Haddon Sundblom)にまさにサンタクロースそのものを使ったイラストを書いてほしいという要望を出しました。

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そこで、彼はムーアの書いた詩を参考に、赤い服を着たふくよかな老人のサンタクロースを生み出します。こうして、彼の描いたサンタクロースは、雑誌を始めとしたコカ・コーラの広告に約30年に渡ってアメリカ人に愛されるようになりました。

フランスでのサンタクロースの定着とサン・ニコラとの共存

19世紀から20世紀にかけてアメリカで独自の進化を遂げたサン・ニコラですが、フランスやオランダなどのヨーロッパ北部では依然としてサン・ニコラへの信仰は続いていました。しかし第二次世界大戦後、アメリカからヨーロッパに逆輸入されたサンタクロースのイメージがが世間に浸透し始めます。アメリカのライフスタイルへの憧れも相まって、クリスマスツリーやクリスマスカードなどと共に赤い服を着たサンタクロースはクリスマスの主役として君臨し始めました。

その一方で、フランスではアメリカからもたらされたサンタクロースと新たなクリスマス文化は新たな波紋を投げかけることとなります。とりわけ、カトリック教会にとってクリスマスは救世主であるイエス・キリストの誕生を祝うためのものであり、彼らの目にはサンタクロースはまさに「異教者」に映ったのです。

pere noel

そして、1951年12月23日に事件は起こりました。フランス中部の都市ディジョン(Dijon)のディジョン大聖堂内にて、子供達の目の前でサンタクロース像に火を放ちました。この行動をフランスの司教団を支持しました。伝統的なキリスト教価値観を大事にする教会にとって、クリスマスツリーを飾ってクリスマスを待つ習慣は異教徒の儀式で、その象徴であるサンタクロースは断じて許すことのできない存在だったのです。

しかしながら、アメリカで生まれた新たなクリスマスの習慣の拡大は止まることを知らず、瞬く間にフランスの家庭に広がっていきました。こうして、21世紀に入った今でもこの新たな伝統は根付いており、クリスマスが近づくと共に多くのフランス人はプレゼントを買うために大忙しで、子供達はサンタクロースが来るのを心待ちにしています。

そうは言っても、サンタクロースの到来はサン・ニコラ信仰を妨げるものではありません。フランスの北部と東部では、昔と変わらず12月6日にサン・ニコラが来るのを心待ちにする子供たちがたくさんいます。

12月6日が近づくと、サン・ニコラのパレードがフランス北部と東部の各地で行われます。中でも有名なのが、上の動画のフランス東部ロレーヌ地方ナンシー(Nancy)のもので、12月の第一週末には盛大なパレードを見ようと二万人を超える人が街を訪れます。同じ地方のメッス(Metz)のものも有名です。フランス北部でも前述のブローニュ・シュル・メールなど各地でサン・ニコラのパレードが行われています。

子供達が待ち望むサン・ニコラとサンタクロース

サン・ニコラとサンタクロース。同一人物なのにまるで違う人物のように現れ、子供達にプレゼントを配るのにはこういった理由がありました。歴史や伝説、宗教はどうあれ、子供達にとってはわくわくしながら待つ存在には変わりありません。

サン・ニコラが今の時代に現れてサンタクロースを見たら何と言うでしょう?それはまさに神のみぞ知ることですが、きっとサン・ニコラは、子供達がサン・ニコラの日やクリスマスを無邪気に待てる社会を見届けれることができれば喜んでくれるのではないでしょうか。

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