ノルマンディー高等法院が物語るルーアンの栄華

現在は裁判所として使われているルーアンの歴史的建造物

こんにちは。フランス政府公認ガイドの濵口謙司(@tourismjaponais)です。

ノルマンディー地方の数ある街の中でも、ルーアン(Rouen)はカンとともに中世より都としてその中核を担ってきた街の一つです。ジャンヌ・ダルクの悲劇を最後を迎えた場所としても知られています。

そんな歴史ある街にはクロード・モネが描いた大聖堂などゴシック建築の傑作がいくつかあります。

今回ご紹介するのが、ノルマンディー高等法院(Parlement de Normandie)です。高等法院とは「アンシャン・レジーム」と呼ばれるフランス革命以前の旧体制のフランスの実質上の最高司法機関で、パリやボルドー、レンヌなど各地にありました。

当初はノルマンディー最高法院(ノルマンディー司法と財政を司どる機関)として建てられ、その後、ノルマンディー高等法院として使われました。現在では伝統的な司法の役割を引き継ぎ、ルーアン裁判所として使われています。

ルーアンの旧市街の街並み

ゴシック・フランボワイヤン様式の傑作

ノルマンディー高等法院の建物が建てられた16世紀初頭は西洋史の区分でいうとの中世は終わり、時代は近世のルネサンスでした。ところが、近世になったからといって急に全ての建物が新しい様式になるわけではありません。フランスではまだイタリアのルネサンスの影響は限定的で、伝統的なゴシック様式が円熟の時を迎えていました。

そんな16世紀の初頭、ルーアンはリヨンとともにパリに次ぐフランス第二の都市を争うほどの繁栄を遂げていました。当時のルーアン大聖堂の大司教はフランス王ルイ12世の側近でもあり、絶大な権力を誇っていたこともその背景にあります。

ルーアンのノルマンディー高等法院

ノルマンディー高等法院の建物は、ゴシック様式の進化系、ゴシック・フランボワイヤンという様式に分類されます。フランボワイヤン(flamboyant : フランス語で「燃えるような、炎をかたどった」の意)という言葉にあるように、窓の炎のような形をした石細工に要約されます。

空に向かって伸びる数多くの小尖塔や彫刻が施された欄干など、外壁一面を彫刻で覆い尽くした外観が印象的です。世代を超えて中世の職人たちが技術を極めたどり着いた一つの到達点であるとともに、ルーアンの当時の栄華を表しているとも言えるでしょう。

ちなみに、この建物がある通りの名前はRue aux Juifsと言います。Juifsとはユダヤ人のこと。実は1976年に発掘調査を行った際に、ヘブライ語の碑文が刻まれた12世紀初頭の建物が見つかったとか。建物の用途を巡っては様々な説がありますが、現在のところフランスで最古のユダヤの遺跡となっています。

アクセスと見学について

ルーアンへはパリのサン・ラザール(Paris Saint-Lazare)駅より普通列車のTERなどで約1時間半、ルーアン・リヴ・ドロワット(Rouen Rive Droite)駅下車。駅からノルマンディー高等法院までは徒歩で10分強です。

ノルマンディー高等法院は裁判所として使われているため、通常は外観のみの見学となりますが、ヨーロッパ文化遺産の日(例年9月第3の土日)だけは特別に見学が可能となっています。

また、下記のルーアン観光案内所のホームページではノルマンディー高等法院のヴァーチャルツアーが可能です。また、その他のルーアンの名所も見ることができるので、ぜひお試しください。