フランス国旗が青・白・赤の三色旗になった理由

フランス革命から7月革命を経てフランスのシンボルとなった三色旗

こんにちは。フランス政府公認ガイドの濵口謙司(@tourismjaponais)です。

フランスの国旗といえば、青、白、赤の三色旗です。この旗はフランス語で「3色」という意味のトリコロールとも呼ばれたりもします。世界の国々の様々な国旗の中でも、認知度はかなり高いのではないかと思います。

ただ、意外にこの3色が何を意味するのか、どういう経緯で現在の旗になったのかというのは知られていない気がします。

今回は、フランス国旗の起源と歴史に迫ってみましょう。

目次

  1. フランス革命の引き金となったバスティーユ牢獄襲撃後のエピソード
  2. トリコロール旗が禁止に・・・
  3. 7月革命後に再びトリコロールはフランス国旗に

1. フランス革命の引き金となったバスティーユ牢獄襲撃後のエピソード

フランス国旗の正確な起源については謎に包まれています。しかし、確かなことは、青、白、赤のトリコロールのフランス国旗の歴史はフランスの近代史の出来事と密接に関わりがあるということです。

一般的に現在のフランス国旗が採用されたのは、18世紀末のフランス革命のときだとされています。

フランス革命とは、「アンシャン・レジーム」と言われる旧体制を倒す市民革命でした。革命以前は、イギリスとの植民地戦争やアメリカ独立戦争の支援など度重なる戦争で国の財政は悪化し、さらには、飢饉なども重なり民衆の不満は高まっていました。

その当時、聖職者や貴族などの特権階級には税金が課せられていませんでした。その一方で、重い税が人口の98%を占める第三身分と呼ばれる平民に課せられていました。

そういった不平等な状況を是正するため、改革のため全国三部会という国の代表が集まる議会が開かれていました。

ただ、この議会は民衆の代表が参加していたものの、特権階級の意見が通るようになっていた、いわば出来レースでした。

状況を打開するために、民衆は国民議会という自らの議会を立ち上げ、憲法が制定されるまで解散をしないと誓いを立てます。これは「球技場の誓い」として知られる出来事です。

その動きを察知したフランス王ルイ16世は、民衆が多くいたパリの近くに20000もの兵を集めているという噂が出回ります。これは、国民議会の平民たちに圧力をかけるためでもありました。

こうして起きたのが、1789年7月14日バスティーユ牢獄襲撃でした。

当時、パリのバスティーユ牢獄とは王に異を唱える人たちが収監されていた、いわば王の独裁を象徴する場所でもありました。

民衆たちは、王と戦うためにバスティーユに保管されていた武器を求めて襲撃したのでした。結果的に、この襲撃がフランス中に反乱へと飛び火していき、フランス全土を巻き込む運動へと広がっていくわけです。

そして、現在のフランス国旗が現在の3色になった直接のきっかけになった出来事がバスティーユ牢獄襲撃の3日後にありました。

事態の深刻さを悟ったルイ16世は、民衆の怒りを鎮めるために、厳重に警護されてパリに向かいます。

パリ市役所に迎え入れられた王は、市長のジャン・シルヴァン・バイイに和解の印として帽章を身につけるように迫りました。これが、王や王政を表す白い帽章にパリの色である青と赤のリボンをつけたものでした。

この3色が旗の色として正式に国旗と採用されたのは1794年の2月15日のこと。この時に、「国旗は国の色を表す縦の帯でできた3色からなり、青が旗竿につき、白が真ん中、赤が空にたなびくようにする」と国民公会、つまりフランス革命期の議会によって定められました。

2. トリコロール旗が禁止に・・・

こうしてフランス革命における民衆の勝利の象徴となったトリコロールの旗ですが、実は、フランス革命以降ずっとフランスの国旗だったわけではありません。

ナポレオンが失脚した後の1814年から1830年の復古王政、つまりルイ18世、そしてシャルル10世が王政を敷いていた期間は姿を消していました。フランス王家が戻ってきたこの時代は、フランス革命を象徴するトリコロールの旗は禁止されました。

この期間は立憲王政ではあったものの、選挙権は実質のところ富を持つ貴族に限られ、特にシャルル10世はフランス革命の反動で市民を無視するような露骨な政策をとっていました。

当然、国民の不満はどんどん高まるばかり。そんな中、駄目押しとばかりに、1830年に報道の自由を奪い、検閲の強化し、言論の自由を監視するばかりか、選挙権を改悪する政策を取りました。つまり、民衆がフランス革命で得たものを奪うような行為に出たわけです。

それに激怒したパリの民衆は立ち上がり、バリケードを築き、市街戦を繰り広げました。

のちに「栄光の3日間」とも言われる7月27日から始まったこの民衆の蜂起はが7月革命と呼ばれています。これにより、シャルル18世は王位を放棄し、逃亡しました。

3. 7月革命後に再びトリコロールはフランス国旗に

7月革命でパリの市役所を陥落させた民衆は、自分たちのシンボルでもある旗、トリコロールの旗を掲げました。

シャルル18世の代わりにフランス王として即位したルイ・フィリップは「フランス王」ではなく「フランス人の王」と称されていました。彼は民衆への理解を示すため、トリコロールの旗をフランス国旗として再び採用しました。

その後、トリコロールの旗は何度か危機に直面しましたが、今でもフランスを象徴する旗となっています。

現在のフランスの政治体制でもある第5共和制においては、憲法の第二条によって、「国家の象徴は青、白、赤のトリコロールの旗である」と定められています。

▲Podcast版ではトリコロールになった経緯をより詳細に説明しています。興味のある方はぜひ聞いてみて下さい。