ルイ14世がヴェルサイユ宮殿の造営に込めた意味とは?

太陽王ルイ14世がヴェルサイユに宮殿を建てさせた理由

こんにちは。フランス政府公認ガイドの濵口謙司(@tourismjaponais)です。

フランスで行ってみたい場所の一つとして、ヴェルサイユ宮殿を挙げられる方は多いのではないかと思います。ヴェルサイユ宮殿の豪華絢爛の装飾や広大な庭園は私たちが想像する「お城」そのものと言えるのではないでしょうか。

ヴェルサイユ宮殿は長い年月をかけて現在の姿となっていますが、その大部分はルイ14世の治世下に建てられました。

フランスのブルボン王朝の最盛期を築いたルイ14世は「朕は国家なり」という言葉で知られます。絶対主義、つまり強力な君主が仕切る政治体制を象徴する王がルイ14世です。つまり、権力を欲しいままにしていた彼が築かせたのが、ヴェルサイユ宮殿というわけです。

今回は太陽王という異名をもつルイ14世とヴェルサイユ宮殿の関係についてお話ししたいと思います。

目次

  1. 元々は狩猟のための館だったヴェルサイユの城夜
  2. パリを離れてヴェルサイユへ
  3. 主演・ルイ14世、絶対王政の劇場ヴェルサイユ

1. 元々は狩猟のための館だったヴェルサイユの城

ヴェルサイユ宮殿の歴史はルイ14世の父、ルイ13世時代に始まります。ルイ13世は狩りをするためにヴェルサイユに私邸を建てるように命じました。

当時のヴェルサイユは小さな村で、周りには手つかずの広大な自然が広がっていました。そこに最初に建てられたのは、ルイ13世が少年時代に描くのが好きだった城塞を思わせるものだったとか。

内向的で気難しかったと言われている彼の性格を考えると、パリのルーヴル城(現在のルーヴル美術館の建物)での宮廷の生活が窮屈だったのかもしれません。ヴェルサイユの邸宅はどちらかというと私的なスペースで、外国の王や大使など特別な人だけしか招くことはありませんでした。

ルイ13世は息子のルイ14世の即位後はヴェルサイユで隠居生活を送ることを生前考えていたようです。ただ、病に倒れ、41歳という若さで亡くなった時には、ルイ14世はわずか4歳に過ぎませんでした。

幼いルイ14世の即位とともに、母アンヌ・ドートリッシュ(Anne d’Autriche)は摂政となり、幼い王の教育係でもあった宰相ジュール・マザラン(Jules Mazarin)とともに政治が行われました。

一方で、主を失ったヴェルサイユの城は、若き王が親政を行うようになるまでの間、約20年の間放置されることとなりました。

2. パリを離れてヴェルサイユへ

マザランの死後、1661年にルイ14世は国の政治の手綱を自ら握ることを決意します。それと同時に自らにふさわしい城を作るべく、ヴェルサイユ宮殿に多額の資金を投入しました。

ルイ13世亡き後も、ルイ14世はヴェルサイユを訪れる機会が何度かあったようです。その時にこの土地に大きな魅力と可能性を感じたのは想像にかたくありません。

中世より新しい王が新しい城を作ることは決して珍しいことではありませんでした。ただ、父ルイ13世のように狩りが好きだったルイ14世ですが、狩猟のためだけにあのような立派な宮殿を作ったわけではありません。他にも何か理由がありそうです。

ヴェルサイユにあってパリになかったもの、それは「場所」でした。世を我がものとする自らにふさわしい立派な城、そして都を作るだけの十分な広さがあったのがヴェルサイユだったわけです。

ルイ14世を語る上で切り離せない「絶対主義」という政治体制は、地方から中央への権力の集中を意味します。それとともに官僚主義が進み、広大な領地の管理のための役所が必要となり、必然的にで働く役人の数も増えていきます。

一部の役所はパリに残されたものの、大半はヴェルサイユにその機能が移転されました。ヴェルサイユにはなんと常時一万人ほどの役人がいたそうです。

つまり、ヴェルサイユ宮殿の建設はただ城を作るだけにとどまらない一大遷都プロジェクトだったというわけです。

3. 主演・ルイ14世、絶対王政の劇場ヴェルサイユ

ルイ14世は演劇に造詣が深かったことでも知られています。ヴェルサイユ宮殿という場所は彼が王として君臨するための「劇場」でもありました。

ルイ14世の宮廷での生活は起床から就寝まで儀式化され、常に多くの家臣がそれを見守りました。王は自らの一挙一動に宮殿中が注目する中、ある意味で「王という役」を演じているようでもあったわけです。

おそらく彼は自分がどう見られたいか、どう見えているかに細心の注意を払っていたはず。そんな中、王としての役割を全うすべく、ありとあらゆる演出を駆使していたんだろうと想像できます。

つまり、ルイ14世は演者としてだけではなく、プロデューサー的な視点も持ち合わせていたということです。

実際に、「劇場」である宮殿の造営の細部にまでこだわったようです。ヴェルサイユ宮殿は鏡の間などの豪華な部屋に注目がいきがちですが、外観はどちらかというと派手というよりは調和や秩序が前面に出ているように感じられます。

ルイ14世が好んだこの建築は、自らの権威の名の下に思い通りに動く王国の姿と重なる気がします。

1701年には、ルイ14世は自らの寝室を東西の軸に合わせて宮殿の中央に移転させました。東と西とはまさに太陽の軌道でもあります。これは自らを重ね合わせたギリシャ神話の太陽神アポロンへの敬意を表したものでもありました。

このように、ルイ14世は「太陽王」にふさわしい宮殿を作り上げていきました。

父が残したヴェルサイユの城を訪れた若きルイ14世は、もしかしたらその時にすでに世界の中心にいる自らの姿がすでに見えていたのかもしれませんね。