絶景スポット!ノルマンディー地方エトルタの白亜の断崖を歩く

エトルタの海岸を歩きながらモネやモーパッサンに想いを馳せる

こんにちは。フランス政府公認ガイドの濵口謙司(@tourismjaponais)です。

フランスの北部に位置するノルマンディーはフランスの中でも最も多くの外国人観光客が訪れる地方の一つです。モン・サン・ミッシェルやモネの庭などの名所があることもその理由ですが、もう一つ忘れてはならない人気スポットがエトルタの断崖です。

印象派を代表する画家であるクロード・モネ(Claude Monet)が多くの作品を残したことでも知られるエトルタの景色は、それ自体が自然が歳月をかけて生み出した美術作品と言えるかもしれません。

今回はそんな白亜の断崖で知られるエトルタをご案内します。

目次

  1. 街の歴史を知ってあなたもエトルタ通に!
  2. エトルタを訪れた著名な作家や画家とは?
  3. エトルタへの行き方

1. これを知っておくとあなたもエトルタ通に!

中世までは造船で栄えたエトルタ

エトルタの歴史は長く、その始まりはローマ時代まで遡ります。まだエトルタとは呼ばれていなかったその時代は、ローマ街道でつながれており、交易の要衝として栄えていたそうです。

それに加えて、近くに森があったことから、そこから切り出した木材を使った造船業が少なくとも中世まで盛んでした。このように海運で栄えたエトルタですが、14世紀に町の運命の転機となる出来事が2つ起きました。

1つ目は1340年6月24日に行われたスロイスの海戦。イングランドとフランスの間で戦われた百年戦争(1337年〜1453年)の中でも重要な戦いの一つでした。両国が英仏海峡の覇権を争うこの戦いの中で、フランス海軍は敗北し、エトルタも多くの船と水兵を失ってしまいました。

そして、2つ目はその8年後にエトルタを襲った竜巻。被害は甚大で、エトルタの港と物資の輸送のために必要だった内陸部をつなぐ川が土砂で覆われてしまいました。その厚さはなんと2mに達したとか。

この2つのことがきっかけで、百年戦争が終わった後はエトルタは表舞台から消え、次第に人々の記憶から消えていったのです。

リゾート地として知られるようになったエトルタ

百年戦争後は小さな漁村としてひっそりと時が流れたエトルタですが、19世紀に入って再び注目を浴びるようになりました。

現在ではエトルタの断崖の上は遊歩道が整備され、歩くことができる。

これは、作家のアルフォンス・カーという人がエトルタをテーマに書いた小説によって知られるようになったため。彼は実際にエトルタに足しげく通い、「友人に海を見せるとすれば、エトルタだ」と言っていたとか。

19世紀は鉄道網の発達により、フランスでは人々が旅行をするようになった時代。加えて、140kmに渡って続くノルマンディー地方の白亜の断崖の美しさ、そしてパリからの近さもあり、海水浴場として注目されるようになり始めていました。

そんな中、英仏海峡を臨む海岸線にある港町のフェカン(Fécamp)からル・アーヴル(Le Havre)にかけて、馬車が通れる道が整備されました。その道中にあったエトルタも恩恵を受け、徐々に海岸に人が訪れるようになっていったのです。

19世紀の半ばになると、エトルタの海岸の開発も本格化。カジノが作られ、海を見下ろすように立派な別荘が立ち並ぶようになります。さらには、19世紀末には鉄道が開通し、小さな漁村だったエトルタはリゾート地に姿を変えていきました。今のエトルタの町並みを歩くとその当時の面影が今も残っています。

2. エトルタを訪れた著名な作家や画家とは?

19世紀中盤から多くの人が訪れるようになったエトルタ。その中には著名な作家や画家の姿もありました。エトルタの素晴らしい景色は彼らを魅了し、彼らの作品にも影響を与え、フランス文学や絵画に彩りをもたらしました。

エトルタはアルセーヌ・ルパンの聖地

文学においては、ギ・ド・モーパッサン(Guy de Maupassant)やモーリス・ルブラン(Maurice Leblanc)が挙げられます。

モーパッサンはエトルタで少年時代を過ごし、パリに出た後も自らが育った土地を母から譲り受け、そこに別荘を建てました。ここで1882年の夏と秋を過ごし、ある小説の準備に取りかかりました。そして世に出たのが彼の出世作であり代表作でもある「女の一生(Une vie)」です。

モーパッサンの死後、彼の別荘は色々な人の手に渡り、現在では予約制ですが一般にも公開されています。

そして、エトルタでやはり忘れてはならない作家といえばモーリス・ルブランです。彼は「怪盗紳士アルセーヌ・ルパン」シリーズの作者で、その中の「奇巌城」はエトルタを舞台に描かれています。

エトルタの「針の岩」の高さは51メートルに達する。

フランス語での作品のタイトルは「L’Aiguille creuse(空洞の針)」となっています。この針とはエトルタの断崖にあるレギュイーユ(L’Aiguille)と呼ばれる断崖を指していて、文字通り針の形をしています。

エトルタの駅から少し歩くとルパン荘(Le Clos Lupin)と呼ばれる建物があります。これはモーリス・ルブランのかつての邸宅。現在では博物館となっておりルブランやルパンのファンの聖地として親しまれています。こちらもぜひ訪れたいですね。

ちなみに、日本ではルパンといえばルパン三世の姿をすぐ思い浮かべる方も多いと思います。ご存知の方も多いと思いますが、実はルパン三世はルブランの生み出したアルセーヌ・ルパンの孫(という設定)です。

数多くの画家を魅きつけたエトルタの断崖

息を飲むほどの美しいエトルタの景色は多くの画家の心を魅きつけ、名作の数々が生み出されました。これには、19世紀半ばに絵の具チューブが発明されたことが大きな後押しとなりました。

アトリエの中で絵を描くのではなく、現地で画架を立てて、移ろいゆく光をキャンバスの中に閉じ込めていくという画家の働き方はそれ以前には考えられないものでした。加えて、交通網の発達が移動を容易にしたことは言うまでもありません。

パリのオルセー美術館所蔵のギュスターヴ・クールベの描いたエトルタの断崖

そんな時代背景があってこそ、エトルタは多くの有名な画家によって描かれた訳です。ウジェーヌ・ドラクロワ(Eugène Delacroix)、ギュスターヴ・クールベ(Gustave Courbet)、カミーユ・コロ(Camille Corot)、ウジェーヌ・ブーダン(Eugène Boudin)、そしてクロード・モネなど名だたる画家がエトルタで滞在し、作品を残しました。

彼らの絵画に共通してよく出てくるのが、海岸から見える象の鼻の形をしたアヴァルの門(Porte d’aval)と呼ばれるところです。前述の「針の岩」もそうですが、まさにこれは長い歳月をかけて自然が生み出した彫刻と言えます。

エトルタの海岸から見る「アヴァルの門」

モネは何度もエトルタを訪れ、多くの作品を残しています。きっと朝早く起きて朝日に染まる断崖を眺めたり、一日中描き続けて疲れがたまった身体を奮い立たせて夕焼けのエトルタを描いたのでしょう。

余談ですが、1886年にはモネはエトルタでモーパッサンに会ったとか。きっと、今の私たちと同じようにエトルタの美しさについて語っていたのではないでしょうか。

3. エトルタへの行き方

ル・アーヴル(Le Havre)より公共路線バス24番線のフェカン(Fécamp)方面に乗り約40分、停留所ETRETAT / Mairieで下車。パリからル・アーヴルまではサン・ラザール駅より直通電車で2時間ほど。

また、Flixbusやisilinesなどの民間のバス会社がパリからの直通バスを運行しています。

エトルタの観光案内所

停留所のすぐそばには役場(Mairie)の建物があり、向かって右側に観光案内所があります。下記の観光案内所のホームページでは現地の観光情報の他にバスの時刻表などもダウンロードできるので便利です。