かつての修道院を修復・改築した複合施設
古い木骨づくりの建物が多く残るサント・アンヌ広場(Place Sainte-Anne)の一角を占めるジャコバン修道院(Couvent des Jacobins)。教会の建物から現代的なタワーが顔を出す独特な外観の建物は、中世の雰囲気が残る広場の中でも異彩を放ちます。
長い間にわたり修復作業が行われていたジャコバン修道院が一般に公開されたのは2017年末のこと。中世にはドミニコ会の修道士たちが暮らしていた場所は、現在では国際会議や展覧会、コンサートや演劇などが催される複合施設として生まれ変わっています。

このように、ジャコバン修道院は今ではレンヌの文化や経済面で重要な役割を担う場所となっていますが、1991年には国の重要文化財に指定されるほどの歴史が詰まっています。実は、ここはブルターニュがフランスの一部になったそのきっかけとなる出来事が起きた場所でもあります。
レンヌ、そしてブルターニュの歴史を感じる場所
2002年にレンヌ市の所有となったジャコバン修道院では、修復作業に先立ち大規模な発掘調査が行われました。それによると、紀元前1世紀からローマ帝国の支配にあったガリア(現在のフランス、ベルギーなどにあたる土地)人によって使われていたということが判明しました。つまり、ここは2000年を超える街の歴史を今に伝える場所でもあるというわけです。
そんな古代の歴史が眠る場所に修道院が建てられ始めたのは1369年のこと。当時のブルターニュ公ジャン4世の命によるものでした。1364年のオーレの戦いに勝利し、ブルターニュ継承戦争に終止符を打つとともにブルターニュの主となった彼ですが、実は戦いの前に勝利の際はここに聖母マリアに捧げた教会を誓っていたと言われています。

そして、冒頭で触れた出来事が1491年11月に起きました。ブルターニュ女公アンヌ・ド・ブルターニュがフランス王シャルル8世がここジャコバン修道院で初めて顔を合わしたのです。さて、この出会いはどうしてブルターニュの運命を左右することとなったのでしょうか?
15世紀末のブルターニュはまだフランス王国と敵対していた公国でした。その当時、2つの国は交戦中で、レンヌはフランス軍に包囲されていたため、混乱を避けるため人目を忍んで訪れたシャルル8世は、ここでアンヌと密会し、婚約を結んだと言われています(諸説あり)。そして、最初の出会いからわずか1ヶ月後の1492年12月、結婚式が行われ、彼女はフランス王妃となりました。

確かなことは、一目惚れや恋愛結婚ではなかったということです。実際に、シャルル8世は初めて会ったアンヌに対していい印象を持たなかったようです。加えて、この結婚の契約にはブルターニュとフランスの和平が盛り込まれていました。つまり、当時14歳だった若き女公のアンヌにとってはこの結婚はブルターニュを守るために自らが選んだ政略結婚だったのです。
シャルル8世の死後も、ルイ12世の妃となりフランス王妃であり続け、彼女は1514年に36歳で亡くなるまでブルターニュを守り続けました。彼女の死後、1532年にブルターニュはフランス王国に併合されましたが、世代を超えて、時代を超えて、アンヌ・ド・ブルターニュはブルターニュの人たちに慕われ、高い人気を誇っています。ジャコバン修道院はそんなブルターニュを象徴する人物の物語を語り継ぐ場所でもあるのです。
レンヌの観光はジャコバン修道院から

ジャコバン修道院はブルターニュの歴史の証人であるだけでなく、レンヌ観光の起点でもあります。2019年3月に観光案内所が移転オープンしました。カウンターのない広々とした空間の中央には大きなテーブルがあり、そこでスタッフが観光客を迎えています。レンヌ観光案内所には日本語の観光マップも置かれているので立ち寄る価値ありです。
また、バカンスシーズンにはイベントの時しか入れない部屋も見学できるジャコバン修道院のガイドツアー(フランス語)も行われています。チケットは観光案内所のホームページから予約・購入できるので、ジャコバン修道院のことをもっと知りたい方は参加してみてはいかがでしょうか?
ジャコバン修道院へのアクセス
レンヌ駅からは徒歩で20分強。地下鉄で約5分、Sainte-Anne駅下車。
住所
LE COUVENT DES JACOBINS
1, Rue Saint-Malo, 35000 RENNES

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