ノルマンディーの世界遺産の港町ル・アーヴルの建築のひみつ

「鉄筋コンクリートの父」が新たな姿を与えた街、ル・アーヴル

こんにちは。フランス政府公認ガイドの濵口謙司(@tourismjaponais)です。

ル・アーヴルの第二次世界大戦後に再建された街並みは2005年にユネスコ世界遺産に指定されています。

しかし、1つ疑問が残ります。何百年もの長い歴史がある訳ではない建築群がなぜ世界遺産なのでしょうか?実際のところ、20世紀の建築は私たちの時代から近いせいか、その価値がわかりにくいのも事実です。

今回はそんなル・アーヴルが世界遺産になるまでの足跡を見ていきます。街の歴史を知ると、街の景色はがらっと変わって見えるはずです。今回の記事は少し長文にはなりますが、これを読むとル・アーヴルの街歩きが楽しくなると思います。

目次

  1. 街を歩いて感じるル・アーヴルの昔と今
  2. ル・アーヴルとオーギュスト・ペレ
  3. なぜル・アーヴルの再建地区が世界遺産に指定されたのか?
  4. オーギュスト・ペレからル・コルビュジエ、そして日本へ
  5. ル・アーヴルへの行き方

1. 街を歩いて感じるル・アーヴルの昔と今

ル・アーヴルはセーヌ川の河口に位置します。セーヌ川はロワール川に次ぎフランスで2番目に長い川で、フランス中部のディジョンの近くに源流があり、エッフェル塔を横目にパリの街を通ることでも知られます。

セーヌ川の流れは花の都を通り抜けた後も続き、蛇行を繰り返しながら、ルーアン、ジヴェルニーなどクロード・モネにゆかりのある街を流れ、そして、ル・アーヴル(Le Havre)にたどり着きます。目の前には、英仏海峡が広がっています。

ル・アーヴルの街は1517年にフランス国王フランソワ1世によって築かれました。なぜ、セーヌ川の河口にル・アーヴルが作られたのでしょう?

その理由は2つありました。

一つは、敵国イングランドからフランスを守るためという戦略的なもの。そして、もう一つは、海運による自国の商業の発展のためでした。現在では、マルセイユに次ぐフランス第2の港であり、コンテナの流通量に限れば国内最大の港となっています。

ル・アーヴル駅から路面電車に揺られ、街の中心へ行くと、沿線には新しい建物の中に混じって気品ある古い建物が視界に入ってきます。確かに、その古い街並みからは、かつての港町の繁栄ぶりの面影が感じられます。

ところが、市庁舎の前にたどり着くと、周囲の建物の雰囲気ががらりと変わります。幾何学的なコンクリートの建物が整然と並ぶ、少し異様にさえ映る区画。ここは、第二次世界大戦後に再建されて生まれ変わったル・アーヴルの一画で、手がけたのは建築家オーギュスト・ペレ(Auguste Perret)。

オーギュスト・ペレは20世紀を代表するフランス人建築家であり、「鉄筋コンクリートの父」とも呼ばれています。

2. ル・アーヴルとオーギュスト・ペレ

Le Havre hiver 1944-1945.JPG
再建前のル・アーヴルの街並み

ル・アーヴルの運命を変えた第二次世界大戦

2005年に「オーギュスト・ペレによって再建された都市ル・アーヴル」としてユネスコ世界遺産に登録されたル・アーヴル。登録名からも分かるように、街は再建されたものです。第二次世界大戦中、1940年にドイツ軍の占領下にあった街は、連合軍の攻撃にさらされ続けました。さらには、1944年9月5日と6日にはイギリス軍の集中的な爆撃を受けることに。同年の9月12日に解放された時には、ル・アーヴルの中心街はすでに廃墟と化していました。

その惨状は数字にも如実に表れ、5000人あまりの犠牲者に加え、約12500棟の建物が破壊されて約80000人が路頭に迷うこととなりました。帰る家を失った人たちの住居を確保するのは、戦後のル・アーヴルの急を要する課題だったのです。

どのように街を再建するのか?元のように戻すのか、それとも、全く新しく立て直すのか?戦争で荒廃したフランスの多くの街は、この難しい選択を迫られました。ル・アーヴルは、新たな都市計画の下、実験的な試みを行いました。その象徴的なものの一つが、オーギュスト・ペレのもとに多くの建築家が集まり、鉄筋コンクリート建築の可能性と新しい街のあり方を追求したことです。

「鉄筋コンクリートの父」と呼ばれたオーギュスト・ペレ

コンクリートの歴史は実は長く、すでに古代ローマ時代から存在していましたが、鉄筋コンクリートが使われ始めたのは19世紀の半ばのこと。コンクリートは圧縮に強く、引っ張りに弱いという特性がある反面、鉄筋は圧縮に弱く、引っ張りに強い素材。これらの2つの資材の長所を残しつつ、短所を補完したのが、鉄筋コンクリートでした。やがて、20世紀に入ると、オーギュスト・ペレの建築物の代名詞となっていきます。

ル・アーヴルのプロジェクトの前にも、彼は鉄筋コンクリートを使った多くの建物を手がけていました。ヨーロッパで初めて鉄筋コンクリートの塔を作ったのも彼で、フランス南東部グルノーブルにある高さ95メートルの塔はトゥール・ペレ(Tour Perret)と呼ばれています。それまでの伝統的な工法では実現できなかったことが、彼の建築では表現されるようになりました。

ル・アーヴルの再生プロジェクト

柱の頭の部分が柱頭。ギリシャやローマなどの西洋の古典建築を思わせる。

1945年に始まったル・アーヴルの中心街の再建。当時のフランス復興都市計画省(MRU)は、ル・アーヴルの被害の甚大さから、新しい手法を用いた再建が必要だと判断しました。鉄筋コンクリート建築の専門家として、確固たる地位をすでに築いていたオーギュスト・ペレに白羽の矢が立ったのは、自然な流れと言えます。その当時、彼は70歳を超えていましたが、自らの門弟とともにアトリエを立ち上げ、この大きな挑戦に取り組みました。

この壮大な再建プロジェクトは、元々あった大通りなどの街の輪郭を残しつつも、住民の人口密度が均等で、なおかつ、それぞれの住居の十分な日照が確保できるように区画整理されました。全く別の街に作り変えるというわけではなく、元々の構造を残しつつも、オーギュスト・ペレの手法を当てはめるという形を取りました。その方法論の一つが、鉄筋コンクリートだったわけです。

卓越した理論だけでなく、美的感覚にも優れていたオーギュスト・ペレ。彼の建築を見ると、同じコンクリートでも、異なる濃淡のものが使い分けられていることが分かります。また、現代的でありながらも、古代ギリシャやローマの建築を思わせるところも多く、アーケードなどにはその影響を感じさせる柱頭のついた柱が並んでいます。古典建築を再解釈して表現するということは、彼の長年の試みの一つでもありました。

そんな新たな建築の時代を引っ張ったオーギュスト・ペレでしたが、ル・アーヴルの新しく生まれ変わった姿を見る前に、1954年に80歳で息を引き取りました。しかしながら、彼の意志を継いだ建築家によってその後も作業は続けられました。再建地区の象徴的な建物であるサン・ジョゼフ教会(Église Saint-Joseph)はその代表例です。高くそびえる120メートルの鉄筋コンクリートの塔は現在では街のシンボルとなっています。

3. なぜル・アーヴルの再建地区が世界遺産に指定されたのか?

一般的に言って、20世紀の建築物というのは、人類の歴史から見るとまだできて日が浅いこともあり、大衆から評価が得にくいのが現状です。例えば、何世紀も前に建てられた教会などに比べると、文化遺産という認識が得難いものです。ちなみに、フランス文化省では「20世紀の文化遺産」という肩書きを建物に与える取り組みをしており、国民に理解を促しています。

ル・アーヴルに関してもそれは同じで、鉄筋コンクリートで作られた建物は理解されるまでに多くの時間を要しました。当然ながら、再建当時も同様でした。例えば、以前とほぼ同じ場所に建て直された市庁舎は、その外観から、「街がニューヨークと摩天楼のようになる」という反感を当時は受けたようです。再建前の姿を知る人にとっては、街に馴染んでいないように感じられたわけです。

ル・アーヴル市役所庁舎の建物
ル・アーヴル市役所庁舎

再建された地区を歩くと、現在を生きる私たちの目からしても、どうしてユネスコは世界遺産に指定したのだろう?と疑問を抱く人も多いのではないかと思います。同じ世界遺産に指定されているパリやリヨンの街並みのように、歴史ある建造物が並んでいるわけでは決してありません。

ル・アーヴルが世界遺産に指定された理由としては、オーギュスト・ペレだけでなく、彼のアトリエだけでなく、他の多くの若い建築家がアイデアを出し合い、他に類を見ないものを作り上げたこと。そして、人類の歴史の一つの重要な時代を例証した建築群であることが挙げられます。戦後に再建された街は他にもたくさんありますが、街の建築の一体性が現在まで崩されることなく保たれているという点でも、ル・アーヴルは唯一無二の存在であると言えます。

4. オーギュスト・ペレからル・コルビュジエ、そして日本へ

世界遺産ル・アーヴルの街並み
ル・アーヴルの街並み。縦長の窓もオーギュスト・ペレの建築の特徴。

ル・アーヴルの再建などのオーギュスト・ペレの鉄筋コンクリート建築は、後世の建築家たちに大きな影響を与えました。その一人が、スイス人建築家のル・コルビュジエ。20世紀を代表する建築家である彼は、若かりし頃にオーギュスト・ペレの事務所で修行を積みました。

彼の建築作品群は、「ル・コルビュジエの建築作品―近代建築運動への顕著な貢献」として、2016年に世界遺産に指定されましたが、鉄筋コンクリートは彼の建築において大きな役割を果たしています。

余談ですが、前述の世界遺産には彼が手がけた東京の上野にある国立西洋美術館が含まれています。実際に現場で建築を手がけたのは、パリの彼のアトリエで学んだ前川國男、坂倉準三、吉阪隆正の三人の日本人。また、世界的な建築家の安藤忠雄など、20世紀から現在にかけての日本人建築家の多くがル・コルビュジエの影響を受けています。

フランスから日本へ、そういう視点で見ると、ル・アーヴルの街並みに代表されるオーギュスト・ペレの建築もまた違った楽しみ方ができるのではないでしょうか?

5. ル・アーヴルへの行き方

パリからはパリ・サンラザール駅発の直通電車(INTERCITÉS)が運行。所要時間は2時間強。

ル・アーヴル駅から再建地区までは徒歩で中心部の市役所(Hôtel de Ville)まで20分弱。

駅前からは路面電車も便利。切符は1時間有効で1.8ユーロで、乗車時に車内の改札機で改札要。AあるいはB線にて、Le Havre La Plage方面行きに乗り、Hôtel de Ville下車。