廃墟から世界遺産へ、ノルマンディーの港町ル・アーヴルの再生

「鉄筋コンクリートの父」が新たな姿を与えた街、ル・アーヴル

ロワール川に次ぎフランスで2番目に長いセーヌ川。フランス中部のディジョンの近くに源流があり、エッフェル塔を横目にパリの街を通ることでも知られます。川の流れは花の都を通り抜けた後も続き、蛇行を繰り返しながら、ルーアン、ジヴェルニーなどクロード・モネにゆかりのある街を流れ、河口に位置するル・アーヴル(Le Havre)にたどり着きます。そこには、英仏海峡が広がっています。

1517年にフランス国王フランソワ1世によってル・アーヴルの街が作られたのには2つの理由がありました。一つは、敵国イングランドからフランスを守るためという戦略的なもの。そして、もう一つは、海運による自国の商業の発展のためでした。現在では、マルセイユに次ぐフランス第2の港であり、コンテナの流通量に限れば国内最大の港となっています。

ル・アーヴル駅から路面電車に揺られ、街の中心へ行くと、沿線には新しい建物の中に混じって気品ある古い建物が視界に入ってきます。その街並みからは、かつての港町の繁栄ぶりの面影が感じられます。

ところが、市庁舎の前にたどり着くと、周囲の建物の雰囲気ががらりと変わります。幾何学的なコンクリートの建物が整然と並ぶ、少し異様にさえ映る区画。ここは、第二次世界大戦後に再建されて生まれ変わったル・アーヴルの一画で、手がけたのは建築家オーギュスト・ペレ(Auguste Perret)。彼は20世紀を代表するフランス人建築家であり、「鉄筋コンクリートの父」とも呼ばれています。

ル・アーヴルとオーギュスト・ペレ

Le Havre hiver 1944-1945.JPG
再建前のル・アーヴルの街並み

街の運命を変えた第二次世界大戦

2005年に「オーギュスト・ペレによって再建された都市ル・アーヴル」としてユネスコ世界遺産に登録されたル・アーヴル。登録名からも分かるように、街は再建されたものです。第二次世界大戦中、1940年にドイツ軍の占領下にあった街は、連合軍の攻撃にさらされ続けました。さらには、1944年9月5日と6日にはイギリス軍の集中的な爆撃を受けることに。同年の9月12日に解放された時には、ル・アーヴルの中心街はすでに廃墟と化していました。

その惨状は数字にも如実に表れ、5000人あまりの犠牲者に加え、約12500棟の建物が破壊されて約80000人が路頭に迷うこととなりました。帰る家を失った人たちの住居を確保するのは、戦後のル・アーヴルの急を要する課題だったのです。

どのように街を再建するのか?元のように戻すのか、それとも、全く新しく立て直すのか?戦争で荒廃したフランスの多くの街は、この難しい選択を迫られました。ル・アーヴルは、新たな都市計画の下、実験的な試みを行いました。その象徴的なものの一つが、オーギュスト・ペレのもとに多くの建築家が集まり、鉄筋コンクリート建築の可能性と新しい街のあり方を追求したことです。

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