ノルマンディーのリゾート地ドーヴィルが「パリの21区」となったわけ

なぜドーヴィルにパリジャンやパリジェンヌが来るようになったのか?

カラフルなパラソルが並ぶビーチ、競馬場やカジノ、豪華な巨大ホテル、高級ブティックの数々・・・ノルマンディー地方のドーヴィルはあらゆる娯楽が楽しめるフランスでも有数のリゾート地です。夏のバカンスシーズンになるとパリから多くの人が押し寄せることから、その別名は「パリの21区」。20区からなるパリの外にあるもう一つの区ということです。

フランス映画「男と女」の記念パネル
映画「男と女」の撮影の記念碑のあるこの広場は映画監督クロード・ルルーシュの名前を冠している。

毎年アメリカ映画祭が行われるこの町は、とりわけ1966年に発表された「男と女(Un homme et une Femme)」というフランス映画の撮影地として知られています。この映画はオスカーの外国語映画賞と脚本賞、そして、カンヌ映画祭の最高賞であるパルム・ドールを受賞しました。そのため、ドーヴィルの名は世界中に知られるようになりました。

このように、シックでセレブなイメージがあるドーヴィルですが、いつ頃からこのようなリゾート地になったのでしょうか?少し街の歴史をさかのぼってみましょう。

隣町トゥルーヴィルとモルニー伯爵

ドーヴィルが現在のような海水浴場として発達し始めたのは19世紀半ばのこと。その当時のフランスでは、その当時は貴族の遊びであった海水浴がイギリスからもたらされた時期でした(詳しくは下記の記事「イギリス人が始めたフランスの海水浴場の歴史」をどうぞ)。

イギリス人が始めたフランスの海水浴場の歴史

南仏のコート・ダジュールなどと並んで、とりわけ地理的に近いという理由からイギリス人に好まれたのが英仏海峡沿いの海岸で、ノルマンディー地方でいち早く知られるようになったのが、ディエップやドーヴィルの隣町のトゥルーヴィル(現在のトゥルーヴィル・シュル・メール)でした。元々は小さな漁師の町に過ぎなかったトゥルーヴィルは、19世紀半ばには海水浴場として発展を遂げました。

そこに1950年代の終わりにやってきたのが、時の権力者ナポレオン3世の異父兄弟であるモルニー公爵。トゥルーヴィルに別荘を持つ知り合いの医者のつてもあって、当時のノルマンディー有数の海水浴場を訪れた彼は、川を隔てて向こう側にある広大な湿地に目をつけます。そこが、今では砂浜のビーチが広がるドーヴィルでした。彼は、選ばれた人たちのみが楽しめる社交場へと、街そのものを作り変えてしまうことを思いつくのです。

トゥルーヴィル・ドーヴィル駅
トゥルーヴィル・ドーヴィル駅

新たな都市計画のもと街は区画整備され、トゥルーヴィルに見られるような曲がりくねった道は姿を消し、現代的な街へと変貌していきました。実は、この開発が始まる前には、身内の特権を活かして、皇帝ナポレオン3世からすでにパリからの鉄道の敷設の確約を取りつけていました。実は、一見すると無謀に見えるこの計画は用意周到に進められていたのです。これにより、ドーヴィルはパリからすぐに行ける海水浴場となりました。

モルニー公爵は、アクセス面での充実ばかりでなく、パリの社交界でも一目置かれた存在であった自らの人脈を最大限に生かし、親交のあった銀行家や富裕層などにもドーヴィルの開発計画を積極的に売り込んでいきました。その結果、その計画に魅力を感じた人たちはドーヴィルに土地を買い、次々と別荘を建てていきます。こうして、またたく間にドーヴィルはパリから富と権力がそのまま移ったかのような華麗なる社交の場となっていきました。

その後、ドーヴィルにはカジノや競馬場なども建設され、隣町のトゥルーヴィルと一線を画した「娯楽の街」としての色合いが強まることに。1865年のモルニー伯爵の死後も、開発は滞ることなくどんどん進んでいきました。しかし、その5年後には普仏戦争のフランスの敗北により事態は急転。ナポレオン3世の失脚により、身内だったモルニー公爵が手がけたドーヴィルからトゥルーヴィルへと人々が流れていくこととなったのです。

1924年のドーヴィル
1924年のドーヴィルのビーチの様子

衰退から絶頂期、そして現在へ

20世紀初頭には、市長が衰退していた街の立て直しを図り、新たなカジノを建てるなど積極的に動きます。そのおかげもあってか、第一次世界大戦後に海水浴が大衆化していくと、ドーヴィルはその流れに乗って活気を取り戻しました。1920年代には当時のフランスで時代の寵児だった画家の藤田嗣治もここでバカンスを楽しんだという記録も残っています。成功して財を成したアーティストや実業家などが連日のように宴を行うなど、まさにドーヴィルはこの時絶頂期を迎えていたのです。

現在のドーヴィルは、ノルマンディーらしい木骨づくりの建物の続く街並みを残しながらも、どこかシックで洗練された雰囲気がただよっています。そんな中、今も残る巨大で豪華なホテルやカジノなどの建物はかつての街の成功を私たちに伝えています。

昔と変わらず、多くのパリジャンやパリジェンヌが夏を過ごすドーヴィルですが、今の街の姿をモルニー公爵が見たら何と言うのでしょうか。彼の像を見るとそんな風に思わずにはいられません。もう少し彼が長く生きていたら、彼はもっと壮大な計画を立ち上げていて、街の景色はまた今とは違ったものだったかもしれませんね。

ドーヴィルのモルニー広場
現在のドーヴィルをつくったモルニー公爵。彼の像は自らの名前のついたモルニー広場(Place Morny)にある。

 

 

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