ヴァンヌのシンボルである貴重な文化遺産
こんにちは。フランス政府公認ガイドの濵口謙司(@tourismjaponais)です。
ブルターニュの西部にあるヴァンヌは美しい海岸線で知られるモルビアン湾に面する街。実はボルドーワインの産地のサンテミリオンの名前の由来である同名の修道士の出身地でもあります。

街には14~15世紀に建てられた強固な城壁が今も残っています。その約4分の3が保存されており、その上を歩くと当時の兵士の気分になれます。かつては堀があった部分には庭園が整備されていて、黄色や赤、紫などの色とりどりの花が咲いています。
現在のこのフランス式庭園ができたのは1950年代のこと。かつては海が近いため、満潮になると水位が上がり、周りの小川の水が流れこんできていたため、ここには民家が立たず、19世紀には菜園や果樹園ができていたそうです。そんな当時の面影を今も残しているのが庭園の一角にある中世の趣のある建物。これは他の街ではあまり見られないヴァンヌの歴史を伝える珍しいものです。
ヴァンヌの共同洗濯場 

レ・ラヴワール・ド・ラ・ガレンヌ(les lavoirs de la Garenne)と呼ばれるこの建物はかつての共同洗濯場。すぐ後ろにある城壁と全く違和感なく立っていますが、実は建築されたのは19世紀前半のこと。
当時はもちろん自宅に現代のような全自動洗濯機などがなかった時代。洗濯をするのに川の水を使っていました。この建物は雨が降っても洗濯できるようにと屋根のつけられた洗濯場で、個人はもちろん職業として洗濯をする女性たちによって使われ、彼女たちの社交の場でもありました。後世にはその風貌が多くの芸術家の関心を引き、この共同洗濯場を描いた多くの作品が残されています。
当時はどのように洗濯をしていたのか?
共同洗濯場と言うと字面では分かったような気がしますが、実際にどのように使われていたのか興味深いものです。もちろん、現在のように洗いから乾燥までボタン一つで簡単にできてしまう時代ではないので、洗濯の頻度も今とは比べ物にならないくらい低かったと考えられています。
当時の洗濯はもちろんながら全て手作業で大変な重労働。彼女たちはまず汚れた洗濯物を川の水につけて汚れをできる限り取りました。そして、それを洗濯のための設備が設けられている建物の奥に持ち込み、灰汁を使って洗濯物を煮洗いをしました。つまり、木炭の灰とお湯を使って漂白をしていたのです。中にはお湯を供給する漂白工が常駐していたようです。

漂白が終わると洗濯物を持って川辺に戻り、膝をついての洗いとすすぎの作業。洗濯物を石の上に置いて、石鹸が布の繊維の中に入るように洗濯べらと呼ばれるもので叩いていました。無理な姿勢で作業をするためリウマチなどになることも珍しくなかったとか。すすぎが終わると野原に広げて乾燥させました(現在のフランス式庭園があるところはその当時には農園が広がっていたようです)。
今もヴァンヌの女性たちの記憶が残る共同洗濯場。街に立ち寄ったらぜひ中に入って、彼女たちの日常に思いを巡らしてみてはいかがでしょうか?