モン・サン・ミッシェルの記憶が眠るノルマンディーの街アヴランシュを訪ねて

モン・サン・ミッシェルの歴史はアヴランシュとある司教の夢から始まった?

こんにちは。フランス政府公認ガイドの濵口謙司(@tourismjaponais)です。

アヴランシュから見たモン・サン・ミッシェル
アヴランシュから見たモン・サン・ミッシェル

ノルマンディー地方のコタンタン半島の付け根に位置するアヴランシュ(Avranches)。街は小高い丘の上にあり、モン・サン・ミッシェルとその湾を一望できます。自然の要塞として理想的で、かつてケルト人や古代ローマ帝国などがここに街を築いたことは決して偶然ではないでしょう。

実際に、SNCFのアヴランシュ駅を降りると、すぐに旧市街へと伸びる険しい上り坂が待ち構えており、街の中を歩いていても上りと下りが多く、場所によってはかなりの高低差を感じることができます。この丘の上にかつてケルト人は木の柵や堀を巡らしオッピドゥム(oppidum)と呼ばれる城市を築いたと言われています。

その後、紀元前1世紀のガリア戦争により、政治家であり軍人のカエサル率いる共和制ローマの支配下に置かれることとなりました。こうしてアヴランシュはローマ帝国内でも重要な都市として発達していきました。

このように長い歴史を持つアヴランシュですが、8世紀の初めにさらにその歴史に欠かすことのできない1ページを加えることになります。実はモン・サン・ミッシェルの歴史はここアヴランシュで始まったのです。

目次

  1. 司教オベールと大天使ミカエルの出会い
  2. 消えた司教オベールの遺体
  3. モン・サン・ミッシェルからアヴランシュへ
  4. アヴランシュへのアクセス

司教オベールと大天使ミカエルの出会い

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大天使ミカエル像

モン・サン・ミッシェルについて書かれているどんな文献やガイドブックを見ても必ず書かれているのがその起源。モン・サン・ミッシェル修道院の歴史は708年にアヴランシュの司教オベール(Aubert)によって大天使ミカエル(ミカエルはヘブライ語で、フランス語ではサン・ミッシェル)を祀った礼拝堂を作ったことが始まります。

伝説によると、司教オベールの夢枕に大天使ミカエルが現れ、当時はトンブ島(Mont Tombe)と呼ばれていた現在のモン・サン・ミッシェルに礼拝堂を建てるように迫ります。このお告げを真に受けずにいると、再びミカエルは夢の中に現れオベールに催促をしました。それでも信じることができなかったオベールに業を煮やしたミカエルは、司教の夢の中にもう1度現れ、指でなんとオベールの頭に穴を空けました。

目覚めて夢で起きたことが本当であることを理解し、事の重大さを理解したオベールはすぐさまトンブ島に礼拝堂を建てました。これがモン・サン・ミッシェル修道院の歴史の始まりです。

さて、ここまではどんなガイドブックにも書かれているモン・サン・ミッシェルの歴史のさわりの部分でよく知られているのですが、このにわかには信じられない奇跡体験をした司教オベールの人生については多くの謎が残っています。

消えた司教オベールの遺体

司教オベールは死後、現在もモン・サン・ミッシェル島内にあるサン・ピエール教会(Église Saint-Pierre)に埋葬されたと考えられていますが、その後消失してしまいます。

時が流れ、11世紀の初頭のある夜、ある参事会員(司教を補佐し、ミサを行ったり巡礼者の受け入れを行う人)がかつて使っていた部屋の天井から鈍い音が聞こえました。音の出所を探り、屋根裏に行くために天井の板を何枚か外すと、そこには小箱があり、中には穴が空いた頭蓋骨がありました。

モン・サン・ミッシェルのサン・ピエール教会
モン・サン・ミッシェルにあるサン・ピエール教会

箱に入った頭蓋骨を見るやいなや、その場に居合わせたベネディクト会の修道士たちはすぐにそれがモン・サン・ミッシェル修道院の創始者である司教オベールのものだと考えました。

それ以来、モン・サン・ミッシェルの歴史には、大天使ミカエルが現れたことを信じない司教オベールの頭に指で穴を開け、彼が来たことが触ってわかるような印を残したと記されるようになりました。

ところで、なぜ教会にあった司教オベールの頭蓋骨がなぜ屋根裏にあったのでしょうか?

実は、966年にここにいた参事会員たちが十分に職務を果たしていないとの理由から、当時のノルマンディー公爵リシャール1世(Richard 1er)はモン・サン・ミッシェルにその時いた2人を除く全ての参事会員をベネディクト会の修道士に入れ替えさせました。そんな中、ベルニエ(Bernier)という修道士が司教オベールの聖遺物を安全に保管するために、自らの部屋に隠していたのでした。

当時は巡礼地としての絶頂期を迎えていたモン・サン・ミッシェルにあって、この修道院創設に関わる伝説は格好の宣伝材料になったことは想像に難くありません。

多くの信者がモン・サン・ミッシェルに押し寄せ、祈りを捧げ、その恩恵にあずかろうとしました。日本のお寺で言えば、仏像や仏舎利がそうであるように、遺骨など聖人にゆかりのあるものは崇拝の対象であると同時に大変貴重なものでした。

モン・サン・ミッシェルは最盛期にはノルマンディーでも最も豊富なこうした聖遺物のコレクションを有していたと考えられていますが、その中でも司教オベールの頭蓋骨の聖遺物は最も重要なものの一つでした。

モン・サン・ミッシェルからアヴランシュへ

アヴランシュのサン=ジェルヴェ・バジリカ聖堂
アヴランシュのサン=ジェルヴェ・バジリカ聖堂

1789年のフランス革命の後、モン・サン・ミッシェル修道院は国有財産となり、その場にいた修道士たちは追放され、刑務所として使われるようになります。

この際、修道院が保有していた聖遺物などの貴重なコレクションは国の手に渡る、あるいは略奪から守るため違う場所で保管されるようになりました。そのため、疎開先の一つとなったアヴランシュには、今でも多くのモン・サン・ミッシェル修道院ゆかりのものが保存されています。

当時アヴランシュの市長でもあった医師ゲラン(Guérin)は研究をする目的もあり、司教オベールの聖遺物を自らの手で保管しました。その後、サン=ジェルヴェ・バジリカ聖堂(Basilique Saint-Gervais)に移され、19世紀末にはモン・サン・ミッシェル修道院の創始者にふさわしい立派な聖遺物箱が作られました。

司教オベールの頭蓋骨の聖遺物は現在ではサン=ジェルヴェ・バジリカ聖堂(Basilique Saint-Gervais)に保管され、一般にも公開されています。頭蓋骨の後頭部の右側には確かに大天使ミカエルが指で開けたであろう穴が、今も確かに空いています。

司教オベールの頭蓋骨の聖遺物
司教オベールの頭蓋骨の聖遺物

この穴に関しては色々な説がありますが、実際に目にするとこれを発見したベネディクト会の修道士たちの気持ちも分かるような気がします。大天使ミカエルが本当に司教オベールの夢の中に現われたのかどうか、真実はともかく、この司教オベールの頭蓋骨がモン・サン・ミッシェル修道院の歴史を語る上で欠かせないのは確かですね。

アヴランシュへのアクセス

レンヌから

レンヌ駅から直通のTERで約1時間20分。

モン・サン・ミッシェルから

モン・サン・ミッシェルの島の対岸エリア発着の公共バスManéo Expressの6番線で約30分。