ノルマンディーのオンフルールの町並みに隠された歴史

大航海時代がオンフルールにもたらした富

海が近くにあるという地理的要因を最大限に生かしてオンフルールは漁業、交易、そして私掠行為によって潤うようになりました。15世紀末になると、海の男たちは近海にとどまらず、さらに遠くを目指すようになります。大西洋にまだ見ぬ土地を求めて旅立っていった船の中にはオンフルール出身の船長が少なからずいました。

16世紀初めには大西洋を横断し、ブラジルに到着していた彼らですが、さらにはジャン・ドニ・オンフルール(Jean Denis d’Honfleur)という冒険家が現在のカナダのセントローレンス川の河口を探検しました。

現在のカナダのケベック州をフランスが領有するようになったのは、サン・マロ出身の冒険家ジャック・カルティエの功績によるものですが、それよりも早くオンフルールの冒険家は現在のニューファンドランド島を植民地としました。こうして、タラの漁場であったこの島の近海を多くのフランス漁船が目指すようになりました。

大西洋を横断して持ち帰られたタラは1510年頃にはセーヌ川の川上にあるパリの市場に並ぶように。食肉文化が現在のように一般の庶民になかった時代において、タラは「海の肉」とも言えるほど珍重されたことでしょう。それと同時に、植民地としてのアメリカ大陸の可能性を認識したフランス王にとって、英仏海峡から大西洋へとつながる港町であるオンフルールはますます重要な役割を担うようになっていったのです。

現在の町のシンボル「ヴュー・バッサン」

ヴュー・バッサン

町の繁栄ぶりは17世紀から18世紀にかけても衰えることはありませんでした。現在のオンフルールの代名詞とも言える「ヴュー・バッサン(Vieux bassin)」はこの時期の町の賑わいを今に伝えるもの。それと同時に、ルイ14世治下の1680年代に作られたこの港はその当時のオンフルールの国にとっての重要性を物語っています。港の船の入り口には1684年からフランス革命まで王の代官が使っていた建物(La Lietenance)があることからもそれが分かります。ここから入港する船を監視していたのでしょうか。

王の代官が使っていた建物(写真右)

ヴュー・バッサンの見どころの一つといえば、港の水面に映る建物の数々。実は、これらのほとんどがこの時期に建てられたものです。特徴的なのは木骨づくりの建物が正面部分がスレートやレンガなどで覆われていること。海路で海に入ってきた航海者たちは、一見すると石造りの建物に囲まれたこの港を見て町の豊かさを感じたのではないかと思います。ちなみに、建物によっては下の部分は木組みの部分が見えるので、探してみると散策の楽しみが増えます。

これまで駆け足でオンフルールの歴史を振り返ってみました。どんな町の景色にもその裏には歴史があり、その場所の地理と大きく結びついている気がします。オンフルールを歩きながら昔の港や町の様子を重ねて想像してみると、町歩きがさらに楽しくなるのはないでしょうか。