普段は公開していないあの建物に入れるヨーロッパ文化遺産の日とは?

フランスにおける文化遺産の概念はフランス革命がきっかけ?

フランスにおいて文化遺産の考え方が生まれたのはかなり早く、フランス革命の時まで遡ります。当時は革命広場と呼ばれていた現在のパリのコンコルド広場(Place de la Concorde)で、当時の国王夫妻のルイ16世とマリー・アントワネットのギロチン斬首されたことに象徴されるように、血なまぐさい出来事が続いたフランス革命ですが、この時に文化遺産という概念が芽生えました。

モン・サン・ミッシェル修道院内
フランス革命後に国有財産となったモン・サン・ミッシェル修道院

1789年のバスティーユ牢獄の襲撃(prise de la Bastille)のように、フランス革命の間には権力の象徴であった多くの城や教会などが破壊されたました。一方で、国家やその文化を反映した文化財は守るべきだという考え方が広がり始めました。逆に言えば、考えもなく建物や文化財を破壊するのは蛮行に過ぎないということです。このことをグレゴワール司教(abbé Grégoire)は「ヴァンダリズム(vandalisme)」という言葉で表しました。その語源は455年に西ローマ帝国を侵略しローマを破壊したゲルマン系ヴァンダル族に由来します。この時は調度品だけが対象でした。

1792年には文化財から国有財産という概念が生まれます。これにより多くの建物が保護され、中でも有名なものの一つがモン・サン・ミッシェル修道院でした。修道院は国有財産に指定されることにより破壊から逃れることができたのです。

パリのノートル・ダム大聖堂
パリのノートル・ダム大聖堂

19世紀に入ると、当初は調度品だけだった保護の対象は建築物まで広がりました。フランス中に美術館が建てられるようになり、個人が所蔵していた美術品は国民が楽しめるものとなりました。パリのノートル・ダム大聖堂(Notre-Dame de Paris)をはじめとした歴史的建造物の修復作業が行われるようになったのもこの頃です。

19世紀は都市の現代化が進むフランスにおいて、過去の遺産との共存の仕方を模索した時代でもありました。鉄道網の発達や都市への人口移動に伴って、区画整備や都市改造を迫られた各地で、歴史のある建築物をどのように保存するのかという課題に向き合ったのです。そして、20世紀にかけて多くの議論を重ねて生まれた数々の法律が現在のフランスの文化遺産や歴史ある街並みを守っています。

ヨーロッパ文化遺産の日は次の世代に伝えるべき文化遺産に触れて考える機会です

ヨーロッパ文化遺産の日はこれまで見てきたフランスの文化遺産を巡る歴史の1ページとも言えます。歴史ある建物は見る者を魅了しますが、それと同時にそれを守ってきた人たちが存在します。ヨーロッパ文化遺産の日は実際にこうしたかけがえのない文化遺産に触れて、どのように次の世代にその大切さを伝えるかを考える日と言えるのではないでしょうか。

もし、フランスやヨーロッパでヨーロッパ文化遺産の日を体験したら、ぜひ日本でもその視点で身近にある重要文化財に触れてみてください。普段から見ている何気ない景色も違って見えるはずです。