リールの歴史の生き証人「グラン・プラス」と女神像の誕生秘話

グラン・プラスの中心にある女神の秘密

グラン・プラスには17世紀から20世紀にかけて建てられた建築物が並び、そのうち8つが重要文化財に指定されています。多くのレストランや商店が軒を連ね、一日中活気に溢れるこの広場は、それぞれの建物に目を凝らしてみるとフランドル地方の伝統やリールの歴史を感じることができます。そして、そんな歴史ある建物に囲まれたグラン・プラスの中央にあるのが高さ約15メートル女神の記念柱(colonne de la déesse)です。

この女神の像のある記念柱は1792年のリール包囲戦の勝利を記念して建てられたものです。リール包囲戦はフランス革命戦争の流れを汲むもので、リールの歴史を語る上で避けては通れない出来事でもあります。

リールのグラン・プラス
グラン・プラス中央にそびえる女神像。手には大砲に点火するのに使われる火縄竿を持っている。

革命勃発後の1789年以降、ヨーロッパ諸国はフランスで革命軍によって王政が崩壊していく様を目の当たりにし、フランスで起きたことが自らの身に起きることを案じた彼らはフランスに干渉しようとします。それに対して、自らの大義を示すべくフランス革命政府はオーストリアに宣戦布告をします。これがフランス革命戦争の始まりです(その後、フランス対イギリスをはじめとした対仏大同盟というヨーロッパを巻き込んだ図式に変わっていきます)。

開戦して間も無く、リールは敵国と対峙する戦線に位置していたこともあり敵軍に包囲されました。1792年9月29日15時に始まった敵軍の砲撃を皮切りに10月6日まで包囲戦は続きました。グラン・プラスはもちろん、街は砲撃に晒されて大きな被害を受けます。しかしながら、リール市民は降伏することを選ばず勇敢に戦い抜き、敵を撃退することに成功しました。

大戦前のリールのグラン・プラス
第一次世界大戦前のリールのグラン・プラス

リール市民の戦いで見せたフランスへの愛国心は、当時の政府の役割をしていた国民公会も評価され、それに値する素晴らしい建築物を建てようという声さえ上がりました。その当時はその計画は実現しませんでしたが、その50年後にこの記念柱と女神の銅像が作られることとなります。

当初、この女神の銅像はもともとパリにある凱旋門の上に飾られる予定でした。1830年代前半にフランスの各々の大都市を象徴する群像を飾る計画があり、リールを代表する像として女性の像を作ることとなっていたのです。しかしながら、最終的に1837年にはこの計画自体が頓挫してしまい、リールと同じノール(Nord)県のドゥエ(Douai)出身の建築家テオフィル・ブラ(Théophile Bra)が作ったこの女神像はリールに寄贈されることとなりました。

記念柱はリール包囲戦からちょうど50年後の1842年に着工され、1845年に完成しました。それ以降、現在に到るまで女神はグラン・プラスの中央でリールの街を見守っています。女神の姿には細部に至るまで彫刻家のリールやドゥエのあるフランドル地方への思いが込められています。そして、台座の部分には1792という数字が今も刻まれており、街を訪れる私たちにリールの歴史の大事な1ページを私たちに教えてくれるのです。