モン・サン・ミッシェルの記憶が眠るノルマンディーの街アヴランシュを訪ねて

司教オベールの遺体はどこに?

司教オベールは死後、現在もモン・サン・ミッシェル島内にあるサン・ピエール教会(Église Saint-Pierre)に埋葬されたと考えられていますが、その後消失してしまいます。

時が流れ、11世紀の初頭のある夜、ある参事会員(司教を補佐し、ミサを行ったり巡礼者の受け入れを行う人)がかつて使っていた部屋の天井から鈍い音が聞こえました。音の出所を探り、屋根裏に行くために天井の板を何枚か外すと、そこには小箱があり、中には穴が空いた頭蓋骨がありました。

モン・サン・ミッシェルのサン・ピエール教会
モン・サン・ミッシェルにあるサン・ピエール教会

箱に入った頭蓋骨を見るやいなや、その場に居合わせたベネディクト会の修道士たちはすぐにそれがモン・サン・ミッシェル修道院の創始者である司教オベールのものだと考えました。それ以来、モン・サン・ミッシェルの歴史には、大天使ミカエルが現れたことを信じない司教オベールの頭に指で穴を開け、彼が来たことが触ってわかるような印を残したと記されるようになりました。

ところで、なぜ教会にあった司教オベールの頭蓋骨がなぜ屋根裏にあったのでしょうか?実は、966年にここにいた参事会員たちが十分に職務を果たしていないとの理由から、当時のノルマンディー公爵リシャール1世(Richard 1er)はモン・サン・ミッシェルにその時いた2人を除く全ての参事会員をベネディクト会の修道士に入れ替えさせました。そんな中、ベルニエ(Bernier)という修道士が司教オベールの聖遺物を安全に保管するために、自らの部屋に隠していたのでした。

当時は巡礼地としての絶頂期を迎えていたモン・サン・ミッシェルにあって、この修道院創設に関わる伝説は格好の宣伝材料になったことは想像に難くありません。多くの信者がモン・サン・ミッシェルに押し寄せ、祈りを捧げ、その恩恵にあずかろうとしました。日本のお寺で言えば、仏像や仏舎利がそうであるように、遺骨など聖人にゆかりのあるものは崇拝の対象であると同時に大変貴重なものでした。モン・サン・ミッシェルは最盛期にはノルマンディーでも最も豊富なこうした聖遺物のコレクションを有していたと考えられていますが、その中でも司教オベールの頭蓋骨の聖遺物は最も重要なものの一つでした。

フランス革命の際にアヴランシュへ

アヴランシュのサン=ジェルヴェ・バジリカ聖堂
アヴランシュのサン=ジェルヴェ・バジリカ聖堂

1789年のフランス革命の後、モン・サン・ミッシェル修道院は国有財産となり、その場にいた修道士たちは追放され、刑務所として使われるようになります(詳しくは下記リンクを参照ください)。この際、修道院が保有していた聖遺物などの貴重なコレクションは国の手に渡る、あるいは略奪から守るため違う場所で保管されるようになりました。そのため、疎開先の一つとなったアヴランシュには、今でも多くのモン・サン・ミッシェル修道院ゆかりのものが保存されています。

当時アヴランシュの市長でもあった医師ゲラン(Guérin)は研究をする目的もあり、司教オベールの聖遺物を自らの手で保管しました。その後、サン=ジェルヴェ・バジリカ聖堂(Basilique Saint-Gervais)に移され、19世紀末にはモン・サン・ミッシェル修道院の創始者にふさわしい立派な聖遺物箱が作られました。

現在ではこの司教オベールの頭蓋骨の聖遺物は一般に公開されています。頭蓋骨の後頭部の右側には確かに大天使ミカエルが指で開けたであろう穴が、今も確かに空いています。この穴に関しては色々な説がありますが、実際に目にするとこれを発見したベネディクト会の修道士たちの気持ちも分かるような気がします。大天使ミカエルが本当に司教オベールの夢の中に現われたのかどうか、真実はともかく、この司教オベールの頭蓋骨がモン・サン・ミッシェル修道院の歴史を語る上で欠かせないのは確かですね。

司教オベールの頭蓋骨の聖遺物
司教オベールの頭蓋骨の聖遺物