レンヌとナント、ブルターニュの二都物語

ブルターニュから切り離されたナント

20世紀に入り、歴史的に見ても長い間ブルターニュ地方の一部であったナントに思いがけない出来事が起きます。それはフランスがドイツに占領されていた第二次世界大戦中の1941年のことでした。フィリップ・ペタン元帥が指揮の下、ヴィシーに本拠を構えていた当時の政権はナントを政治上、行政上の理由でロワール・アンフェリウール県(Loire-Inférieure)に区分したのです。これによりナントはブルターニュ地方から外されることとなりました。

歴史的な文脈を全く考慮しないこの決定は、大戦後もその流れが受け継がれ、ロワール・アンフェリウール県はロワール・アトランティック県(Loire-Atlantique)に改称されたものの、ナントはその県庁所在地となり、ブルターニュに戻ることはありませんでした。そして、アンジェ(Angers)やル・マン(Le Mans)などと共にペイ・ド・ラ・ロワール地方(Pays de la Loire)を構成しています。

IMG_6870
ブルターニュ大公城前の「水の鏡」

現在もナントはブルターニュ地方に戻るべきだという議論は続いており、昨今の地方の再編成の際には必ず話題になります。しかし、実際にナントがブルターニュに戻った場合、レンヌとナントを2つの都として扱うのかという議論が起きます。その場合はレンヌが現在の権限や役割を手放すことになり、非常に複雑な問題が新たに生まれることとなります。

この先、ナントがブルターニュに戻るかどうかは分かりません。ただ、ナントにはブルターニュの都としての歴史があり、レンヌが都になったことによって2つの都市の運命が変わったことは事実です。このことを知っておくと2つの都がまた違って見えてくるのではないでしょうか?