これってプール?ルーベの美術館「ラ・ピシーヌ」の知られざる誕生秘話

新たな都市計画の一環として生まれた「フランスで一番美しいプール」の建築

そんなルーベの姿を見て育った当時の市長バティスト・ルバ(Baptiste Lebas)は改革に乗り出します。結核が街中に広がるのを防ぐために無料診療所を設け、学童には医療検診とワクチンを受けられるように取り計らいました。そして、12万5000人のルーベ市民の体を健全に保つために温水プール建築を計画しました。

当時フランスにははまだプール施設は数えるほどしかありませんでした。そのため、ブリュッセル、パリ、ナンシー、ストラスブールなどにあったプールを調査した上で、ルーベ市長は「フランスで一番美しいプール」を作るという野心的な計画を立ち上げたのです。

ルーベ美術館内
個人用の浴槽の建物への入り口(左が男性、右が女性)

1922年に必要な土地を買収したルーベ市はこの計画を実現するために建築家アルベール・バール(Albert Baert)に白羽の矢を立てました。

すでにフランス北部のリールやダンケルクでプールを建築した実績を持っていた彼が目指したのは「衛生の神殿(temple de l’hygiène)」。プールだけでなく、家庭に風呂がない人たちのための個室の浴槽、結核予防に効果的な日光浴をするための庭、そして裕福な人たちに向けてはマッサージやフィットネスなどを用意しました。

また、多くの人が混雑なくスムーズに移動できるように庭園を中心にプール、浴槽の建物、食堂を四角形を描くように配置して建物内を循環できるようにしました。これは同じく庭園を中心に形成される修道院建築、中でもブルゴーニュ(Bourgogne)地方のクリュニー修道院(Abbaye de Cluny)を参考にしたものです。

Piscine-Bassin-1932
プールとして使われていた頃のラ・ピシーヌ美術館

プールが閉館し美術館になった理由とは?

こうして1932年に完成したプールは、その後行政の度重なる努力もあり全てのルーベ市民に親しまれるようになりました。しかし、1970年代に入りオイルショックの影響で市はエネルギーの節約を迫られ、プールを温水に保つことができなくなります。その為、断熱のために通気の為に開けていた穴を塞いだことから、塩素を含んだ湿気が室内にこもるようになりました。次第に湿気は天井のコンクリートを蝕み、やがて1985年には屋根が崩壊する危険まで出てきたのです。

急を要する対応を迫られたルーベ市。1930年代の建物を1990年代の安全基準で修復することは新しいプールを建てる方が安価で済むと判断し、1985年にアルベール・バールとルーベ市民の思いがたくさん詰まったプールを閉館する決断を下したのです。

閉館をしたプールをどうするかという様々な議論がなされました。数ある案の中で、最終的にこの建物は建築家ジャン=ポール・フィリッポン(Jean-Paul Philippon)の手に委ねられました。彼は1986年にかつてのパリのオルセー駅の建物を現在のオルセー美術館(musée d’Orsay)として蘇らせた人物としても知られています。

ジャン=ポール・フィリッポンは街の歴史に敬意を払い、かつてプールのあった場所に公衆浴場と織物工場があったことを考慮して、新たな美術館を設計しました。2001年にオープンしたラ・ピシーヌは絵画や彫刻だけでなく、工芸品や織物などのコレクションを有しており、ルーベの過去の記憶を今に受け継いでいます。

ラ・ピシーヌは普段美術館に行かないような人が訪れるようにコンサートやファッションショーなど美術に限らず様々なイベントを開催し、ルーベ市民が身近に感じられる美術館であろうとしています。かつての「フランスで美しいプール」は役割は変われど、市民が健やかでいられるように今もその活動を続けているのです。

ラ・ピシーヌへのアクセス

リールより地下鉄2番線(Ligne 2)でGare Jean Lebas駅下車(約15分)、徒歩で50m

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