イギリス人が始めたフランスの海水浴場の歴史

フランスで一番有名な海岸が「イギリス人の遊歩道」と呼ばれる理由とは?

こんにちは。フランス政府公認ガイドの濵口謙司(@tourismjaponais)です。

フランス人のバカンスの定番の目的地は海です。夏になるとテレビでは海水浴場ごとの天気予報もあるほどで、気温も水も少しまだ肌寒い6月くらいでも賑わい始めます。

日本でフランスの海岸というと、その真っ青な海の色から紺碧海岸という意味をもつコート・ダジュール(Côte d’azur)が一番有名だと思われます。

映画祭で知られるカンヌ(Cannes)やアンティーブ(Antibes)なども知られていますが、中でも約7kmに渡って広がるニース(Nice)のプロムナード・デ・ザングレ(Promenade des Anglais)の海岸は世界的な知名度を誇っています。

プロムナード・デ・ザングレを日本語に訳すと「イギリス人の遊歩道」という意味になります。

なぜフランスで一番有名な海岸が「イギリス人の遊歩道」と呼ばれるのでしょうか?

フランス北部から始まったフランスの海水浴場の歴史

海水浴の歴史は17世紀半ばにイギリスで始まります。海水浴はもともと日本の温泉のように海水に浸ることで得られる健康への効用と保養が目的でした。

どのように海水浴が現在のようにレジャーになっていったのでしょうか?それは当時の時代背景と関係があります。

18世紀に入るとロンドンは大都市となり、人口が過密化していきます。18世紀末には産業革命が始まり、その傾向にはさらに拍車がかかり、農村部から都市部への人口の流入がより顕著になっていきました。

そんな状況下において、イギリス人たちは鉄道の発達とともに遠くの山や海に出かけるようになりました。これがレジャーとしての海水浴の始まりです。そして、18世紀後半になってイギリス人により海水浴がお隣の国フランスにも伝わったのです。

フランスで海水浴場の先駆けとなったのは地理的にもイギリスに近いフランス北部でした。ノルマンディーのディエップ(Dieppe)や現在のオー・ド・フランス地方のブローニュ=シュル=メール(Boulogne-sur-Mer)はフランスで最初の海水浴場としても知られています。

後者には1763年にはすでに海水浴場の文化が伝わっていたようです。しかし、18世紀末のフランス革命、そしてナポレオンの台頭によるフランスのイギリスとの対立などもあり、本格的に発達が始まるのは1820年代のことです。

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当時のブローニュ=シュル=メールの海水浴場

意外に思われるかもしれませんが、当時の海水浴は貴族などの特権階級のためのものでした。海の前にはダンスやコンサートをするための大きな広間のある建物が建てられました。そこで受付を済まして水着(といっても今のものとは程遠いですが)を借りて、上の写真のような更衣室も兼ねた屋根のついた馬車に乗って砂浜を渡り、水浴びをしに行きました。

フランスの海でバカンスを過ごすイギリス人たち

19世紀後半まではディエップとブローニュ=シュル=メールが海水浴場としての名声を欲しいままに発展していきます。

鉄道の発達とともにブルターニュや大西洋岸、そして地中海にも海水浴場が続々と出現するようになると、上記の2つの都市はより多くの観光客を呼び込むためにカジノや高級ホテルなどを海沿いに建てました。これが現在の海沿いの保養地の原型となったと言えます。

産業革命が進み、都会に住むようになったイギリス人たちは自然を求めフランスにも多くやってくるようになります。加えて、イギリスに比べてフランスの海の方が緯度が低いことから暖かいのもその理由だったのかもしれません。当時は船を使って数時間で来れることもあって、裕福なイギリス人貴族たちはフランスに住居を構えるようにさえなったのです。

ちなみに、当時のディエップには1860年には少なくとも3000人のイギリス人住民がいたそうです。また、ブルターニュ地方のディナール(Dinard)にも多くのイギリス人が移り住みました。

コート・ダジュールにあるニースでも19世紀初頭にはすでに冬を暖かい場所で過ごしたいイギリス人貴族が多くいました。彼らは地元の経済発展や景観の向上に大きく貢献したのですが、とりわけ特筆すべきなのが素晴らしい眺めを楽しむための散歩道を作ったことでした。

1820年台前半にイギリス人神父のルイス・ウェイ(Lewis Way)が資金を集めて「イギリス人の小道(Camin des Angles)」を作ります。それが後に1860年にニースがフランスに併合された際にプロムナード・デ・ザングレ、つまり「イギリス人の散歩道」として改名されたのです。

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現在のブローニュ=シュル=メールの海水浴場

今でもフランスの有名な海水浴場には多くのイギリス人が訪れます。実際にフランス語よりも英語の方をよく聞くなんてこともあるくらいです。英仏海峡トンネルを通って車で来れるようになったこともそれをさらに後押ししているのではないかと思います。

Brexitによってイギリスがユーロを離脱しても、眩しい日差しと美しい海で過ごすバカンスの味をしめてしまったイギリス人は変わらずフランスの海岸を訪れ続けることでしょう。