24時間耐久レースで知られるル・マンが世界遺産になるかも?

ユネスコ世界遺産なる前に先取りして訪れたいル・マン旧市街

こんにちは。フランス政府公認ガイドの濵口謙司(@tourismjaponais)です。

ル・マンという町の名前を聞いたことがありますか?自動車の24時間耐久レースが毎年開催されている町です。レースが世界的に有名なので、その陰に隠れがちなのが旧市街の美しさです。

ル・マン駅から旧市街へとつながる路面電車に揺られること数分。左右の車窓から建物が消えて、視界が開けると、目の前には広場と立派な教会が見えてきます。

この教会は、11世紀から15世紀にかけて建てられたサン・ジュリアン大聖堂(Cathédrale Saint-Julien)。フランスで最も大きい大聖堂の一つでもあります。

大聖堂の足元にある階段を登ると、そこはル・マンの旧市街(Le Vieux Mans)が広がります。城壁に取り囲まれた古い町並みを歩くと、中世のまま時間が止まっているかのような錯覚を覚えます。

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サン・ジュリアン大聖堂

ル・マンの旧市街を散策してみよう

ル・マンの旧市街は「プランタジネット朝の都市(Cité Plantagenêt)」と呼ばれています。

世界史を勉強したことがある方なら聞き覚えがあるかもしれませんが、プランタジネット朝とは1154年から約2世紀半続いたイギリスの王朝で、実はここル・マンも当時はイングランド領でした。

王朝の創始者でもあるヘンリー2世の両親のアンジュー伯ジェフロワとヘンリー1世の娘であるマティルダが結婚式を挙げたのがこのサン・ジュリアン大聖堂で、ヘンリー2世自身もここで洗礼を受けました。以来、ル・マンはイングランド王朝と密接な関係が続いていきます。

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ル・マン旧市街の街並み

城壁内には中世の終わりからルネッサンス期にかけて建てられた木骨造りの建物が約100軒あります。

最も古いものは14世紀末に、それ以外の大多数は15世紀から16世紀に建てられています。

1972年に始まった修復作業の成果が実り、今では青、緑、赤など色とりどりの建物が当時の姿を取り戻しています。レンヌなどフランスの木骨作りの家並みが残っている街に比べると、古めかしくなく色使いがあまり歴史的な建物っぽくないと思ってしまうかもしれませんが、実は色が落ちただけで昔は鮮やかな装飾だったということはよくあることなのです。

日本でも姫路城が修復作業後に白すぎると話題になったことは記憶に新しいですね。

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赤い柱の家(右側)

ちなみに、街のところどころに角に柱がある家があります。上の写真の16世紀に建てられた赤い柱の家(Maison du Pilier-Rouge)もその一つです。実は当時は通りの名前や番地がなかったので、その目印のためこのような柱を使っていたようです。現在ル・マンの旧市街には7つの柱がある家が現存しています。

ル・マンにあるフランスで唯一の歴史的建造物とは?

旧市街を通り抜けてル・マン市内を流れるサルト川(la Sarthe)の方に出ると、幾何学模様の施された城壁が川に沿ってそびえ立っています。この城壁は西暦280年に当時ル・マンを支配していたローマ帝国によって建てられたものです。かつては長さ450メートル、幅200メートルの不規則な長方形の形をしたこのような城壁が1300メートルにわたって続いていました。

かつてリヨン(Lyon)やリモージュ(Limoges)などと並んで「赤い街」と呼ばれたように、特徴的なのは城壁の赤さです。

レンガと赤みを帯びた砂岩を赤いモルタルで固めることで、口紅のような赤色が壁面を覆います。美しさという面だけでなく、実用的な面でもバイキングやブルトン人などの数々の攻撃を耐え抜き、今もその姿を残していることは特筆に値します。

実はフランスではこのような保存状態の良いローマ時代の城壁は他になく、ヨーロッパでもローマとコンスタンティノープルくらいという歴史的価値が非常に高いものです。ル・マンが世界遺産に立候補している大きな理由でもあります。

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ローマ帝国時代に建てられた城壁

壮観な佇まいのサン・ジュリアン大聖堂、色とりどりな木骨作りの家並み、そしてヨーロッパでもあまり例のない城壁。これら全てを見た後は、きっとどうしてまだル・マンの旧市街が世界遺産でないのか不思議に思いさえすることでしょう。